2015.09.25 議会改革
『地方議会に関する研究会報告書』について(その3)
『報告書』の両論の検討(1)~首長制と二元代表制~
①(首長制)と⑤(二元代表制)の対立は、ある意味で観念論の最たるものである。もっとも、この2つは、現実の自治制度の各種要素から帰納的に抽出される観念像という側面があり、地方自治法自体が、首長制又は二元代表制という原理を掲げて、それから演繹(えんえき)的に具体的な制度要素を構築しているわけではない。つまり、トートロジー的なところがある。首長に議会招集権が専属するということは、議会に対する首長の優位をもたらす要素であり、結果的に、首長制という観念による自治制度理解を容易にする、というだけである。逆にいえば、首長と議長に並行的に議会招集権が付与されれば、二元代表制という観念による自治制度理解が、帰納的に容易になるだけである。
したがって、この両論の解決をするには、現実の地方自治法等による自治制度から帰納するのではなく、地方自治法等を超える観念・理念として決着をつけなければならない。簡単にいえば、憲法解釈として、憲法は首長制を観念しているのか、二元代表制を観念しているのか、ということである。憲法の「地方自治の本旨」が二元代表制を観念しているのに、現実の地方自治法等による自治制度が首長制的に要素を構成しているのであれば、全体として憲法の理念に違背しているということになる。その場合には、憲法の観念に合致させるために、個別のパーツを二元代表制的に組み替える必要があり、議会の招集権もそのひとつに位置付けられよう。いずれにせよ、『報告書』は憲法解釈を展開していないので、観念・理念の議論を避けているから、「決め手に欠ける」(9頁)結論になる。
『報告書』の両論の検討(2)~議案提出権~
②(首長提案)と⑦(議会側提案)は、ほとんど不可解な素人論議である。実際の運用で、首長側・議会側のどちらの提案が多いかという実態論と、制度設計問題は全くの別物である。制度論として整合的に主張するならば、議案提出権者に招集権を付与すべきである、という結論にしかならないだろう。要は、審議したい議題があるから議会を招集するのであり、ならば、議案もないのに「ただ集まって話しましょう」というのは無責任であって、議案を添えて招集する制度になるわけである。とすると、議長は議案提出権者ではないから、招集権者とすべき理由はなくなる。
あるいは逆に、全てに関して議長を招集権者とし、議案提出権者に議長に対する招集請求権を認める方が綺麗(きれい)かもしれない。審議してもらいたい人が自ら招集するのでは、一種のお手盛り招集だからである。もっとも、審議してもらいたい人が自ら招集できないと、議長が嫌がらせで招集を拒み審議を妨害しかねない。とするならば、議案提出権者=招集権者が筋ともいえる。
『報告書』の両論の検討(3)~審議に行政部局担当者が不可欠か~
④(執行部局のいる審議)と⑧(議員のみの審議)も、ほとんど不可解な素人論議である。ここでも、実際の運用で、執行部側幹部職員の出席を前提とした議会審議になっているか、執行部側の出席を要しない議員同士の審議になっているかという実態論と、制度設計問題は全くの別物である。
仮に、執行部が議会に長時間は出席したくないから、首長が議会招集権を持つというのは本末転倒である。そもそも、いったん招集してしまえば、会期の長さがどうなるかは招集権者のあずかり知らぬところである。通年会期制になれば、そうしたことは避け難い。むしろ、議会による執行部側幹部職員への出席義務を、制度的にどう解決するのか、という「実際上の問題」が重要であり、招集権の所在とは関係がないのである。