2015.05.25 議会改革
選挙啓発という無駄
接戦をつくるには
最大の選挙啓発は、接戦をつくることである。初めから勝敗の帰趨が見えるような「無風選挙」ではなく、勝敗の帰趨が見えず、互角の戦いとなることである。しかし、このような状態を人為的・制度的又は政策的につくることは、非常に難しい。
プロ野球を接戦にするには、各球団の戦力を均衡化して、特定巨大球団が金の力に飽かせて有力選手を抱え込んで、常勝軍団をつくることを回避する必要がある。そのために、ドラフト制度などが設けられたわけであるし、総年俸上限を課す必要があったりする。それでも、結果的にはペナント・レースの途中で、優勝や順位がはっきりしてしまうこともある。だからこそ、レギュラー・シーズンの順位を再逆転できるクライマックス・シリーズなどという仕掛けをつくったりする、という苦労をしている。野球自体を接戦にして面白くしないで、ただ、「野球を見にいこう」、「私を野球に連れていって」などと啓発をしても、効果がないからであろう。
政界において、各政治家・各党派の戦力を均衡化して、特定政治家や特定優越党派が、権力をふるって人材を抱え込んで、常勝・多選の長期政権をつくることを回避することは、極めて難しい。プロ野球は常勝球団1つになってしまっては、プロ野球の対戦が成立しないから、興行も成立しない。だから、常勝球団でも、ある程度、戦力均衡化を受け入れる意味がある。しかし、政界では、常勝政治家・巨大党派が政権や議会を独占しても、その為政者は別に困らないどころか、むしろ、「独裁」権力を楽しむことができてうれしいだろう。それゆえに、選挙に接戦をつくることは容易ではない。それどころか、為政者は陰に日に接戦にならないようにマスコミに圧力をかけ、補助金をバラまくものである。
おわりに
選挙というのは、誠に難しいものである。決して、人為的に競争状態をつくることが、うまくいくわけではない。しかし、シュムペーターがいうように、民主主義とはエリート間の競争こそが本質であり、選挙に競争がなければ、民主政治は機能しなくなる。市場に競争がなくなれば、市場経済が機能しなくなるのと同様である。
市場経済の競争は、民商法体系や知的財産法・競争法・各事業法などによって、政府や裁判所という国家権力が外在的に促進することは、多少は可能である。しかし、政界に係る選挙の競争は、政界が差配する国家権力によってつくり出すのは難しいのである。
(1) 賭博とセットになると、選手に対する「八百長」の誘惑の可能性が大きくなり、真剣勝負がかえって見られないことになりかねないので、賭博とセットでない方が真剣勝負を観覧することができる、というわけである。