元日本経済新聞論説委員 井上繁
ニシンの卵のカズノコは、たくさんの細かい粒が子孫繁栄を連想させることもあって、縁起物としておせち料理の一品とされ、お歳暮としてもやりとりされる。その消費拡大などをめざして北海道留萌市が全国でも珍しい「かずの子条例」を制定して間もなく2度目の正月を迎える。
人口2万2,000余人の留萌市はカズノコの加工が盛んで、国内の塩カズノコ生産量の半数近くを占める。ニシン漁は江戸時代末期から始まり、明治時代から昭和の1950年代前半にかけての早春、大群が産卵のため北海道の日本海沿岸に押し寄せた。それを漁獲するやん衆と呼ばれた出稼ぎ労働者が各地からやってきて、留萌の人口は一時期それまでの2倍に膨れ上がったこともある。
江戸時代、乾物の身欠きニシン40貫(約150キロ)を1石と計算していた。留萌は他の日本海沿岸地域とともに「千石場所」と呼ばれた。留萌から海沿いの国道を増毛町に向かう山側に建つ佐賀番屋などは「留萌のニシン街道」のひとつとして北海道遺産に指定され、当時の面影の一端を今日に伝えている。
この地域では、ニシンやカズノコの加工産業が発達し、漁獲されたニシンの大部分は、保存食品としての干しカズノコ、身欠きニシン、肥料としての魚粕(ぎょかす)などになり、北前船によって本州方面に出荷された。1950年代後半以降獲れなくなってからは、ロシア、カナダ、米国などから抱卵冷凍ニシンやカズノコを輸入し、伝統ある加工技術の継承と、カズノコの品質向上に努めてきた。
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