地方自治と議会の今をつかむ、明日につながる

議員NAVI:議員のためのウェブマガジン

『議員NAVI』とは?

検索

2017.07.10 政策研究

日本統治時代のレトロ調百貨店が人気スポットに

LINEで送る

元日本経済新聞論説委員 井上繁

 台湾南西部の商工業都市である台南市は人口188万人で、札幌市より多少小さい規模である。名所旧跡が多いことから、日本人には「台湾の京都」といった方が分かりやすいかもしれない。
 台湾は、かつてオランダなどの支配を受け、日清戦争の結果、清朝から日本に割譲された1895年から、第二次世界大戦の後、日本から中華民国に編入された1945年まで日本が統治した。
 今も残る台南の日本統治時代の建物はほとんどが公共の建物で、現在も公共目的で使用している例がほとんどである。例えば旧台南州庁と行政院文化建設委員会の文化資産総管理処準備室として1916年に建設されたレンガ色の建物は国立台湾文学館、1898年に台南気象測候所として建設された建物は気象博物館として使われている。「胡椒管」と呼ばれる中央の白い観測塔に特徴がある。1910年に建設された旧台南公会堂は呉園芸術文化館といった具合である。
 だが、山口県出身の実業家林方一が資本を投じ、目抜き通りの末広通り(現中正路)の交差点角に1932年に開業した一部6階建ての「林百貨」は民間の建物である。このデパートは空爆を受けて1945年に閉店し、戦後は一時、警察などが使用した。その後は長い間空きビルになっていたのを台南市が修復し、2014年にテナントを入れて復活させた。同市が1998年に古跡(史跡)に指定したことがリニューアルのきっかけになった。
 戦前の開業時、林百貨は、南台湾最大のビルで、しかもハイカラだった。台北の菊元百貨と並び、南北二大百貨ビルとされた。建築技術や材料は当時最先端のものが使われた。建物は鉄筋コンクリート造だが、むき出しのままのコンクリートは一般の人に受け入れられなかったため、外壁を日本ではスクラッチタイルと呼ばれ、旧帝国ホテル本館などで使ったすだれレンガで覆った。リニューアルに当たっては、古跡にふさわしいように、その頃の雰囲気を忠実に再現した。市や建築会社は、建物にわずかに残っていたタイルや壁の素材を分析して復元した。すだれレンガは、台湾で1920年代頃の建物によく使われた。
 床材は、グレーとオレンジの2色を組み合わせた市松模様である。3~5階の道路側は、昔の木枠の窓で、独特の雰囲気を醸し出している。天井は高く、照明はレトロ調である。その頃の台南では唯一の近代的なエレベーターを備えており、それを目当ての客も多かった。修復したエレベーターは5人乗りで、ゆっくり動く。その位置を示す外側のインジケーター(指示器)は針が180度動き、昔の柱時計の文字盤を半分に切ったような形である。外部が見えるシースルー式のため、狭くても圧迫感は少ない。エレベーターは5階が終点で、6階は機械室である。
 屋上には、産業の守護神として信仰されていた神社「末広社」がある。台湾の商業建物に現存する唯一の屋上神社という。鳥居やとうろうなども設けている。昔のポストも設置したままである。
 第二次世界大戦で台南は米軍の空爆を受けた。6階屋上部分の壁のあちこちに被弾の痕跡を残しており、5階のピロティからその様子を見ることができる。屋上の防空軍備用の銃の射撃台も歴史的遺産としてそのままである。
 再生された林百貨は、台湾各地の特産品を中心に、台南のギフト商品やファッションなどをそろえており、文化創造の新しい形の百貨店をめざしている。ただ、人気スポットになったのを手放しで喜んでばかりいられない。収容人数が470人のため、週末などには入場待ちの行列ができ、あきらめる客もいるからだ。
 2016年にはマグニチュード6.6の台湾南部地震が発生し、台南では地上16階建てのビルが倒壊して、100人以上が死亡した。台湾南部地震の際も、「日本統治時代の建造物はびくともしなかった」(台南市政府観光旅游局・謝静如さん)という。古くからの建物が、変動する時代のニーズに合わせ、所有者や用途、内装を変えながら長く活用されているのは、逆に日本が見習うことではなかろうか。

外観は1932年開業時のままの「林百貨」外観は1932年開業時のままの「林百貨」

この記事の著者

議員 NAVI

今日は何の日?

2025年 616

新潟地震(震度6)起こる(昭和39年)

式辞あいさつに役立つ 出来事カレンダーはログイン後

議員NAVIお申込み

コンデス案内ページ

Q&Aでわかる 公職選挙法との付き合い方 好評発売中!

〔第3次改訂版〕地方選挙実践マニュアル 好評発売中!

自治体議員活動総覧

全国地方自治体リンク47

ページTOPへ戻る