2017.06.26 なり手不足
町村総会の検討
東京大学名誉教授 大森彌
高知県大川村が「村民総会」の検討を開始
2017年5月初め、高知県土佐郡大川村が、2019年の村議選で議員定数6人に満たないおそれもあるとし、議会に代えて、すべての有権者が議決に参加する「村民総会」の研究を始めたことが報じられた。高知新聞の見出しは、「高知県の大川村が『村民総会』を研究 村議会の存続に危機感」、毎日新聞の見出しは、「高知・大川村、議会の廃止検討 議員の担い手不足」であった。このニュースは、テレビや新聞のみならず、SNS上でも話題に上ることとなった。
大川村は、高知県の最北端、県都高知市の真北に位置し、北は愛媛県に接し、周囲を1,000メートル以上の山々に囲まれ、村の中央部を流れる吉野川により南北に二分されてV字型をなし、急峻(きゅうしゅん)で平坦地が極めて少ない山村である。面積は約95平方キロメートル。人口は1960年代の約10分の1にまで減少し、2016年10月31日現在、406人(世帯数228)で、高齢化率は約44%である。離島を除くと、全国で人口が最も少ない村として知られ、「自然王国 Okawa Village」をキャッチフレーズとしている。近年は若者のUターンや移住が増加の傾向にあるが、高齢化と人口減少の波に洗われ続けている。
大川村が策定した「まち・ひと・しごと創生人口ビジョン」では、人口の将来展望に関しては「目指すべき将来の方向」を次のように述べている。
「本村は、現在、離島を除いて日本最少人口の自治体であり、今なお、人口減少、高齢化が進み続けている。こうした厳しい状況に置かれている本村が、自治体として将来にわたって存続するためには、400人の人口を維持することが必要不可欠であると考えられる。言い換えると、400人程度の人がいなければ、村づくりや地域の活性化は成し得ない。
このため、将来にわたる人口目標を『400人の維持』に置き、産業振興の積極的な展開(雇用・交流人口の拡大)による移住(転入)者数の増加(社会増)、そしてこれに連動した出生者数の増加(自然増)を積極的に推進し、人口動態をプラス化へと方向付けすることで、何が何でも『400人の人口』を守ることを目指していく。」
大川村は、人口400人死守という、ある意味では悲壮な決意で地域創生に乗り出している。こうした中で、定数6人の議会を守り抜こうとしても、立候補者が6人出てこなければ守りようがないのではないかという問題が出てきた。定数を1減して5人にすることも考えうるが、これは消極的な手法で、事態の解決には役立たないかもしれない。やはり議会を存続させるには議員のなり手を増やすに越したことはないだろう。その努力自体が地域創生の大切な一部になるかもしれない。
2017年5月15日、大川村議会では、朝倉慧議長が村議会の在り方に関する諮問書を川上文人議会運営委員長に手渡した。諮問書は、村議の高齢化や人口減に伴う立候補者の減少などで2019年4月の任期満了後に「議会組織の構成が維持できるか不安を隠しきれない」と指摘した上で、今後も困難を乗り越え議会組織を構成できるか、総会の設置条例の検討は必要か、総会設置に村民の理解を得る手段はあるか、どのように村長と協議するかなどについて検討し、本年12月20日までに、結論を出すよう求めている。和田知士大川村長も6月議会で、村として総会設置の検討を表明した。
大川村の動きは、止まらない人口減と高齢化の影響が議会の存続の是非にまで及び始めたものと、にわかに全国的な注目を浴びることになった。
現在の大川村議会
2015年4月26日の議員選挙では、定数6人、立候補者数6人(全員現職)で、無投票で決まった。有権者数は370人。顔ぶれ等は表のとおりである。
この2015年村議選では、新たな立候補者は現れず、引退を望んだ現職が複数いたが、「欠員を出さないため、無理をしてでも」ということで、結局、現職全員が立候補し無投票で当選したという。
大川村議会は1999年選挙では定数10人で無投票であった。4年後の2003年には定数を2減の8人としたが、7人しか立候補者がなく欠員1が出た。公職選挙法は、立候補者数の不足数が議員定数の6分の1を超えた場合、再選挙を規定している。不足分の選挙を50日以内に行わなければならない。欠員が定数の6分の1以下だったので、定数割れのまま全員が当選し再選挙は免れた。2007年には、さらに2減の定数6人とした。2007年と2011年の選挙では選挙戦になった。しかし、2015年選挙では現職の6人が続投することになった。
現在、議長を含めた6人全員の総務産経常任委員会と4人からなる議会運営委員会を置いている。定例会は3月、6月、9月、12月の4回である。議員月額報酬は、議長22万円、副議長16.6万円、議員14.7万円で高知県内では最低額である。
平成25年度から平成29年度までの大川村定員管理計画では、総職員数22人を超えない範囲で維持するものとしている。平成25年度は総職員数が20人、一般行政が15人、議会事務局は1人である。
再選挙の例
大川村議会が議会運営委員会で村民総会の設置を検討することにした最大の理由は、次の2019年選挙で、立候補者が定数の6人に満たず、欠員1人が出れば、再選挙となること、今後、当選者が不足して選挙を繰り返したりすることになれば、村政が停滞しかねないおそれがあることである。
これまで、そうした再選挙になった例はあった。2004年6月の長野県売木村議選では、定数8に対し6人が立候補を届け出た。立候補者は当選を決めたものの、欠員が定数の6分の1を超えたため再選挙となった。再選挙では2人が立候補し、無投票で当選した。その後、定数を1減し7人とした。2016年6月の村議選では7人の立候補者で無投票当選が決まった。現職が4人、元職が1人、新人が2人であった。
2017年3月の長野県野沢温泉村議選では、当初、定数8に対して立候補を表明したのが6人で、「定数割れ再選挙か」と報じられたが、8人が立候補し、無投票で当選が確定した。同村議員定数は1997年に16人だったが、その後も段階的に削減され、2005年には8人にしている。2013年の村議選では立候補者が7人で定数割れのまま無投票で7人が当選した。このときは欠員1であったため再選挙は免れた。
最少人口の東京都青ヶ島村の議会
ちなみに、離島も含めれば日本で最も人口が少ない自治体は東京都青ヶ島村で、人口は、2015年4月1日現在、178人である。ここの議員定数も6人で、直近の2013年9月の村議選では、7人が立候補し、有権者数138人、投票率76%で、現職の3人と新人の3人が当選(農業が2人、会社員が4人)、新人の1人が落選した。得票数は、18票が2人、17票、15票、14票、13票が各1人で、8票の候補者が落選した。この村は、人口の約半分が村外出身の村役場職員・学校教員・建設作業員とその家族で占められており、島民の平均年齢は30歳代後半である。人口は最少だが、定数を満たす議員のなり手がいないわけではなさそうである。
高市総務大臣の受止め
大川村の動きが報道され、高市早苗総務大臣は、2017年5月9日、閣議後の記者会見で記者から、これに対する「受止め」を問われて次のように語っている。「地方自治法第94条に規定する町村総会でございますが、住民が非常に少ない町村において、有権者が事実上一堂に会して会議を開くということを想定したものでございます。過去に設置事例はございましたけれども、現在設置している地方公共団体はないということでございます。今、大川村のお話をされましたが、議員の成り手不足ということが一つの課題であるかと存じます。これにつきましては、やはり議会ですとか議員活動に対する住民の皆さまのご理解を深める、信頼を深めるということとともに、多様な方が参加しやすい議会の環境をつくっていくということも一つの方法であるかと存じます。ただ、今後著しく人口が少ない町村においてこの町村総会というものも一つの選択肢となり得るんだろうと思います。総務省としては、もしもご相談がありました場合には適切に助言などをさせていただきたいと思っております」。
町村総会は、「著しく人口が少ない町村における一つの選択肢」という受止めであるが、議員の成り手を増やす工夫が求められているということでもある。
大川村は議会に代えて村民総会を設置することを決めているわけではない。しかし、その検討に着手したのは、次の村議選で「議会組織の構成が維持できるかどうか」が危ぶまれると考えられているからである。検討に当たっては、「議会維持が大前提」としており、若手村民の政治関心を高める活動も並行して進めることになりそうである。いずれにしても、大川村での検討の過程と結果は、今後の町村議会のあり方をめぐる議論に少なからぬ影響を及ぼすと思われる。そうした点は、また別の機会に論ずることとし、以下では、町村総会に関し若干の整理しておきたい。
町村総会について
(1)一般的な解説
町村総会を国語辞書で引くと、例えば、松村明編『大辞林〈第3版〉』(三省堂、2006年)では、「人口が少なく、議会を組織するのに適さない場合に、町村が条例によって議会に代えて設ける選挙権者の総会」とあり、また、新村出編『広辞苑〈第5版〉』(岩波書店、1998年)では「町村の条例により町村議会に代えて設けうる機関。人口が少なく町村議会を組織するに適さない町村のための制度で、選挙権者の全員で組織する」とある。
少なくとも、この解説で共通しているのは、町村総会は「人口が少なく議会を組織するのに適さない場合(町村)」に設けることができる制度とされていることである。
(2)現行法の規定
日本国憲法93条は、「地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する」とし、地方自治法(以下「自治法」という)89条は、「普通地方公共団体に議会を置く」と定めている。市町村にはその議事機関としての議会が置かれるのが本則である。ただし、自治法94条では「町村は、条例で、第89条の規定にかかわらず、議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる」とし、95条で「前条の規定による町村総会に関しては、町村の議会に関する規定を準用する」と規定している。
議会に代わる「選挙権を有する者の総会」は町村にのみ置くことができ、これを「町村総会」と呼んでいる。したがって、市も都道府県も、議会に代えて「選挙権を有する者の総会」を設置することはできない。つまり、89条の例外は町村議会の場合に限られている。町村総会は、選挙権を有する住民が集まって構成する議事機関であるため、議員を選出する必要がないのである。しかし、法文上は、町村総会設置の理由が「人口が少なく議会を組織するのに適さない場合」であるとはなっていない。人口の多寡に関係なく町村の自主的な判断によって設置できることになっている。
(3)憲法93条との関係
憲法93条にいう議事機関とは、地方公共団体の意思を決定する機関である。町村総会は選挙権を有する住民の総会によって、その地方公共団体の意思を決定する機関であるから、憲法上の議事機関であるといえる。したがって町村総会も、憲法上の地方公共団体の議会の地位に立つものである。町村総会は合議制の意思決定機関であり、その限りにおいて議会と変わらない。
自治法は、自治体の予算や決算を決めるには議会の議決が必要であると定めている。首長は新年度の予算を立案し、通常は3月の定例会に提出する。前年度の決算は8月から9月頃までに資料を作成し、通常は9月の定例会に提出される。少なくとも、議会に代わる町村総会では、予算と決算を審議し議決しなければならない。そのための条例を制定し、総会に関する基本事項を定める必要がある。総会の構成員(村長など執行機関の扱い)、定足数と委任状の扱い、招集と日取り、臨時総会、総会の議長・副議長の選出、審議事項の提案、議決要件、総会事務(会場設営・費用・人員)、専決処分などが想定されよう。町村総会の設置と開催も容易ではない。
(4)自治法94条の制定経緯
現行法上は、町村総会が「人口が少なく議会を組織するのに適さない場合(町村)」を明示的には想定していない。それでは、なぜ、人口が少ない町村が想定されているといった一般的な解説が行われているのか。それは、町村総会が自治法に規定された経緯に関係がありそうである。
① 旧制度における沿革
明治21年制定の町村制は、町村総会に関して「第31条 小町村ニ於テハ郡参事会ノ議決ヲ経町村条例ノ規定ニ依リ町村会ヲ設ケス選挙権ヲ有スル町村公民ノ総会ヲ以テ之ニ充ツルコトヲ得」と規定していた。「町村公民の総会」をもって「町村会」に代えることができるのは「小町村」であるとされていた。法文上は「小町村」とみなす基準は明らかではなく、郡参事会の判断によるものとされた。ともかく当初は「小町村」が想定されていた。
明治44年の町村制全部改正によって「第38条 特別ノ事情アル町村ニ於テハ郡長ハ府県知事の許可ヲ得テ其ノ町村ヲシテ町村会ヲ設ケス選挙権ヲ有スル町村公民ノ総会ヲ以テ之ニ充テシムルコトヲ得」と規定された。「小町村」が「特別ノ事情アル町村」に改められたのは、小町村のみならず、特別の理由で町村会(議会)を設けることがその町村の事情に適合しない場合もあり、その適用範囲を広くしたものと説明されている。
大正15年の町村制の改正によって、38条は、「特別ノ事情アル町村ニ於テハ府県知事ハ其ノ町村ヲシテ町村会ヲ設ケス選挙権ヲ有スル町村公民ノ総会ヲ以テ之ニ充テシムルコトヲ得」となった。これは、大正15年の地方官官制の全部改正により郡長が廃止されたことによる。
昭和21年第1次地方制度改革によって、38条は「特別ノ事情アル町村ニ於テハ町村条例ヲ以テ町村会ヲ置カズ選挙権ヲ有スル者ノ総会ヲ置クコトヲ得」と修正された。この改正によって、府県知事の設置によっていた町村総会は、町村自ら条例をもって設置することができることとなった。また、町村総会の構成員が公民制度の廃止に伴って「選挙権を有する者」に改められた。
② 昭和22年の自治法制定における政府草案
「第94条 特別の事情がある町村においては、条例で第89条の規定にかかわらず、議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる」。これが、自治法制定における政府草案であった。この草案に対して総司令部(GHQ)からは、特別の事情の有無にかかわらず総会を設けることができるよう修正要求があったとされている。当時の内務省は、このような特殊な制度を一般化するのは適当ではないとして修正要求を受け入れなかった。政府は、草案と同じものを衆議院に原案として提出したが、「特別の事情がある」が削除され、現行条文のように修正された。
参議院の自治法案に関する特別委員会では、町村総会の規定が適用される町村はほとんどないと思われる、また現状から見て町村総会を運用していく素養がまだ不十分ではないか、という意見が出された。これに対して政府委員は、小さい村はかなり存在していること、このような規定が旧制度にもあったこと、自主権を強化する建前上、町村民の自主性を尊重することが適切であることから、この規定を設けたという説明があり、参議院でも衆議院の修正どおり可決したとされる(以上の経緯については、地方自治総合研究所監修、佐藤英善編著『逐条研究地方自治法Ⅱ議会』(敬文堂、2005年)を参照)。
ちなみに、町村総会は、ときにタウンミーティング(17世紀以来アメリカ合衆国のニューイングランド地方で行われてきた直接民主制的な地方自治の一形態であり、一般的には年1回住民が集い、行政委員を選出し、予算、条例、その他その後1年間の地域の公的な取組みについて議決する)に擬せられることがあるが、自治法の制定事情から見ると、町村においては直接民主制的な議事機関の設置が望ましいと考えたからではなさそうである。
(5)参考にならないこれまでの例
自治法が施行されてからは、町村総会の実施例としては、東京・八丈小島の旧宇津木村(現八丈町)で短期間実施された1例があるのみである。この事例については、榎澤幸広「地方自治法下の村民総会の具体的運営と問題点―八丈小島・宇津木村の事例から―」(名古屋学院大学論集 社会科学篇47巻3号、2011年)の研究がある。
この研究によれば、宇津木村は自治法の施行により、八丈小島に設置された村の1つで、当時人口は61人、定数4人の議会が置かれていた。しかし、4人を充足することも困難であったようで、住民の転出が多く見られ、議員選挙を行うにも適任者が少なく町村総会が設けられたようである。人口があまりに少ないため、村長が監査委員を兼ねていたり、町村総会会長が教育委員会委員長を兼ねていたりしていた。また、自治法が施行されるまで名主制が存続していた。宇津木村の町村総会は名主制の産物ともいえる可能性があり、その意味では非常に特殊な事例で、実際に設置されていた期間も短く、残された記録も少ないという。
宇津木村の事例は、山間部に位置し高齢化が進む大川村などとだいぶ事情が異なり、参考にはなりにくそうである。これから町村総会の設置を検討しようとする町村は、ほとんど一から制度を設計しなければならないといえる。
(6)地方分権推進委員会第2次勧告
これまで、町村総会が国の文書で取り上げられた例としては、地方分権推進委員会第2次勧告(1997年7月8日)がある。その「第6章 地方公共団体の行政体制の整備・確立 Ⅴ 住民参加の拡大・多様化」の「5.町村総会への移行」の中で、「国は、小規模町村が地方自治の一つのあり方として、条例により町村総会へ移行できることについて周知する」としていた。
この点について、筆者は、1998年6月発刊の拙著『分権改革と地方議会』(ぎょうせい)の中で、次のように指摘した。「この文章は、国が住民総会への法的な手続きを改めて整備するまでもなく、自治体が条例によって、既存の形態の議会を置かず、直接民主主義的な意思決定方式である『選挙権を有する者の総会』を設けることができることを明言したものである。従来、この点は、問い合わせや要望もほとんどなく、国でもあまり話題にしてこなかった。自治法94条は事実上休眠状態にあったといえる。このたび、勧告で触れることによって覚醒し、自治体の中には住民総会への移行を試みるところも出てくるかもしれない」(66頁)。
拙著では「住民総会」と呼んでいたが、いうまでもなく法的には「選挙権を有する者の総会」(町村総会)である。町村でも、住民人口がよほど少なくなければ、総会設置の合理的理由は乏しいという見方がないでもないが、法律の解釈としては、町村の判断で人口の多寡にかかわりなく町村総会を置くことができると解せられる。しかし、その後、町村総会への移行を試みる町村は出てこなかった。
その意味で、このたびの大川村の動きは、人口減と高齢化が進展する中で、改めて町村総会への移行に関する議論のきっかけとなるだろう。