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2025.01.14 まちづくり・地域づくり

第1回 災害と自治体

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前大田原市長 津久井富雄

はじめに

 本連載は、自治体の行財政は市民の負担であるとの前提に立ち、また、災害などのイレギュラーがあっても維持できるものでなければならないという考えのもと、市議会議員、県議会議員を経て市長を3期務めた津久井富雄・前大田原市長が、自身の行財政運営の経験をもとに、次の選挙のためではなく、長期的な目で見た財政運営の必要性を解説するものである。
 就任後、吉田寛先生の公会計に出会ったことが、財政運営への取組み方を大きく変えた。また、在任中に経験したことは、災害復興、庁舎新設、固定資産、企業誘致など多岐にわたる。それらのエピソードを交え、「子供にツケをまわさない財政運営」がどのように実現されてきたのかを、全6回にわたって解説していく。

繰り返す災害

 2024年元旦、石川県能登半島沖を震源とする大地震が発災した。テレビ報道では、東日本大震災を彷彿(ほうふつ)とさせる強烈なメッセージが流れているのに驚き、見入ってしまった。「津波が来ます。早く高いところに逃げてください。命が大事です。早く逃げてください!!」正月気分は吹き飛んだ。
 喉元が過ぎ、その熱さを忘れていた東日本大震災が脳裏に浮かんできた。私の在任期間には度重なる水害、豪雪、猛暑、新型コロナウイルス感染症等、百年に一度といわれる天変地異が連続して起きた12年間であった。災いを災いのままに終わらせてはならない。これを転じて、福となし、幸いとなすべきである。能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福と、被災された方々に心からお見舞いを申し上げるとともに、東日本大震災のときに一地方自治体の長を委ねられていた者として、そのときの所感を残し、共有しておくことは、遅々として進まない復旧に、なにがしかの役に立つかと思い筆をとった。
 2010年4月に大田原市長に就任してから、1年が過ぎようとしていた2011年3月11日14時46分、東日本大地震が発生した。大田原市では、3月議会の真っ最中、私は休憩時間中であったため、市長室で被災した。庁舎は大きく揺れ、思わず柱にしがみついていた。ガラスが割れ落ち、天井からは粉が舞い降り、運も尽きたかと思ったとき、揺れが収まった。ヘルメットをかぶり、たくさんの裂け目ができていた階段を飛び降りるように駆け降り、玄関を出た。私が最後の脱出者だった。
 本震が収まっても、余震のたびにガラスが割れ落ち、職員が悲鳴を上げ泣き崩れる姿は、悪夢を見ているようであった。我れに返り、広報車のマイクを手にとり、そのスピーカーを通して、精いっぱいの声でゆっくり職員に話しかけた。「皆さん落ち着いてください。今から皆さんにお願いをします。女性職員は家に帰り、周りの安否の確認をしてください。若い職員は市内全域を分担手配し、状況把握をしてください。幹部職員は災害対策本部を設置し、今後の対応を協議します」。私も、身震いしながら伝えた。
 1963年に建築された本庁舎は崩壊した。合併による人口の増大に応えて当時の市庁舎は、本庁舎とその本庁舎北側、別棟、議会棟、南別館、東別館から構成されていた。電気や水道、ガスが使えた南別館2階に災害対策本部を構えた。市内の被災状況は、目の当たりにした本庁舎の崩壊だけではなかった。その日が暮れる頃、状況把握をしてきた職員の報告により、全市内各所の甚大な被害が明らかになった。
 日赤病棟も損壊があり、多くの患者の移動支援が要請された。各地で停電、断水が発生した。道路は損壊しただけでなく下水が噴出していた。多くの家屋が損壊し、石塀も倒壊していると、数えきれない報告が次から次に上がってきた。
 幸いなことは、失われた市民の命がなかったことであった。
 日が明け、消防、警察、自治会、建設業界、福祉協議会との災害対策会議で逐次、迅速に、状況把握、連絡、対策実行の手順を確認し、それぞれの現場で対応した。

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