2020.10.26 政策研究
第7回 補完性(その2)
東京大学大学院法学政治学研究科/公共政策大学院教授 金井利之
国と自治体
都道府県と市町村の間では、都道府県が補完機能を担うことが想定されていることを、これまで論じてきた。市町村の事務が決まらなければ都道府県の事務が決まらないという意味では〈市町村優先〉であるが、都道府県の事務として決まったものの残余の部分が市町村の事務となるという意味では〈都道府県優先〉である。補完性とは、どちらを優先しているのか分からない、極めて両義的な概念である。要するに、相互補完性ということになる。
国と自治体の間でも、同様の補完性を想定することができる。この場合、自治体の事務が決まらなければ、国の事務が決まらないという意味では、〈自治体優先〉である。しかし、国の事務が決まってしまえば、残余の部分しか自治体の事務にならないという意味で、〈国優先〉である。その意味では、国・都道府県・市区町村の関係は、どちらも優先になり得るし、どちらも優先にならないこともあり得る、相互補完性のもとにある。
国の役割限定論
分権・自治が、自治体の事務の拡充、あるいは、国から自治体への事務再配分であるならば、国の事務を限定することが重要なテーマになる。こうした観点から論じられたのが、国の役割限定論である。
例えば、第24次地方制度調査会「地方分権の推進に関する答申」(1994年11月22日)は、以下のように論じている(下線筆者)。
「歴史的な変革期を迎えている世界の中にあって、国としては、内政面の役割を整理し、国際化への対応等ヘ重点的に取り組む体制に転換すべきである。
一方、地域に関する行政は、地方公共団体が主体的に担い、地域の実情に応じた行政を積極的に展開できるよう、企画立案、調整、実施等一貫して対応できる体制に転換すべきである。
(中略)
このような考え方に基づいた国と地方公共団体のそれぞれの役割に応じた事務配分の考え方は次のとおりである。
(1)国は、
① 国家の存立に直接関わる政策に関する事務(例えば、外交、防衛、通貨、司法など)を行うほか、
② 国内の民間活動や地方自治に関して全国的統一されていることが望ましい基本ルールの制定に関する事務(例えば、公正取引の確保、生活保護基準、労働基準など)及び
③ 全国的規模・視点で行われることが必要不可欠な施策・事業に関する事務(例えば、公的年金、宇宙開発、骨格的・基幹的交通基盤など)を重点的に行うこととし、その役割を限定的なものにしていくべきである。
(2)地方公共団体は、国が行う事務以外の内政に関する広範な事務を処理する。また、自らの判断と責任で事務を処理できるよう、財源の確保や自主立法権も含め自主性・自立性を確立することが重要である。」
こうした発想は、地方分権推進法に受け継がれている。同法4条は「国と地方公共団体との役割分担」と題して、
「地方分権の推進は、国においては国際社会における国家としての存立にかかわる事務、全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動若しくは地方自治に関する基本的な準則に関する事務又は全国的な規模で若しくは全国的な視点に立って行わなければならない施策及び事業の実施その他の国が本来果たすべき役割を重点的に担い、地方公共団体においては住民に身近な行政は住民に身近な地方公共団体において処理するとの観点から地域における行政の自主的かつ総合的な実施の役割を広く担うべきことを旨として、行われるものとする。」(下線筆者)
と規定している。同様の趣旨は、地方分権改革推進法5条1項にも受け継がれている。要するに、国は「国が本来果たすべき役割を重点的に担い」、自治体は「身近」(近接性)であることを根拠として、「地域における行政」の「役割を広く担う」としている。国の役割を重点的なものに限定(「整理」)し、その残余の事務は自治体が担うという発想である。国の役割が限定されれば、その反射効果として自治体の役割が拡大し、分権・自治につながるという発想である。
国の権力強化論
しかしながら、国の役割が限定されることは、国の権力が限定されることを、必ずしも意味するわけではない。あたかも、性別役割分担観に基づく家庭において、家事・育児・介護という「家内」の役割を広く「妻」、「母」、「嫁」が担うことが、「亭主関白」(家父長制・家制度)と矛盾しないどころか、むしろ、家父長制の表れそのものであるのと、同様である。むしろ、家事・育児・介護も担わされかねない「夫」、「父」、「家長」が、家事・育児・介護から解放されて、「夫」、「父」、「家長」が「本来果たすべき役割」に純化する、要するに、煩わしい家事・育児・介護から逃れることを意味する。
国の役割限定論においては、国が担わない役割は、補完性に基づいて自治体が担う。自治体が担える役割は自治体が担い、自治体が担えない役割を国が担うという補完性ではなく、国が担わない(担いたくない)役割は、自治体が担うという補完性である。このような、国のご都合主義の役割限定論は、国の都合で、国が担う役割を国が先占し、その残りが自治体に押し付けられる。このような役割限定論は、必ずしも自治・分権に効果があるとは限らない。むしろ、国の責任放棄と自治体への負担転嫁である。
地方分権推進と同時期に行われた「中央省庁等改革」は、実態としては内閣機能強化であったことは、今日ではよく知られている。例えば、行政改革会議「最終報告」は、以下のように論じる(下線筆者)。
「自律的存在たる個人の集合体である『われわれ国民』が、統治の主体として、自律的な個人の生、すなわち個人の尊厳と幸福に重きを置く社会を築き、国家の健全な運営を図ることに自ら責任を負うという理を明らかにするものである。
今回の行政改革は、『行政』の改革であると同時に、国民が、明治憲法体制下にあって統治の客体という立場に慣れ、戦後も行政に依存しがちであった『この国の在り方』自体の改革であり、それは取りも直さず、この国を形作っている『われわれ国民』自身の在り方にかかわるものである。われわれ日本の国民がもつ伝統的特性の良き面を想起し、日本国憲法のよって立つ精神によって、それを洗練し、『この国のかたち』を再構築することこそ、今回の行政改革の目標である。」
こうして、「われわれ国民」は「統治の主体」として、統治者目線と一体化し、あたかも、自らと為政者さらにいえば内閣・首相を同一視することが求められる。いや、為政者と異なって、「われわれ国民」は権力を持たないので、「責任を負う」だけである。それが「伝統的特性の良き面」という。そこで、「最終報告」は、内閣機能強化を提唱する。
「内閣が、日本国憲法上『国務を総理する』という高度の統治・政治作用、すなわち、行政各部からの情報を考慮した上での国家の総合的・戦略的方向付けを行うべき地位にあることを重く受け止め、内閣機能の強化を図る必要がある。
(中略)
内閣が『国務を総理する』任務を十全に発揮し、現代国家の要請する機能を果たすためには、内閣の『首長』である内閣総理大臣がその指導性を十分に発揮できるような仕組みを整えることが必要である。
そのため、まず、合議体としての『内閣』が、実質的な政策論議を行い、トップダウン的な政策の形成・遂行の担い手となり、新たな省間調整システムの要として機能できるよう、『内閣』の機能強化が必要である。
さらに、内閣が内閣総理大臣の政治の基本方針を共有して国政に当たる存在であることを明らかにするため、『内閣総理大臣の指導性』をその権能の面でも明確にする必要がある。
また、以上の強化方策を実効あらしめるため、『内閣及び内閣総理大臣の補佐・支援体制』について、内閣なかんずく内閣総理大臣の主導による国政運営が実現できるようにするとの観点から、抜本的変革を加え、その強化を図る必要がある。」