2020.05.25 議会改革
第8回 議会審議のあり方─どのようにして決めるか─
慶應義塾大学大学院法務研究科客員教授 川﨑政司
1 討議の府
物事を決める場合の方法には様々なものがあるが、通常最もよく行われるのは、話合いによって決めるということだろう。最終的には投票で決着を図る場合でも、それに至るまでには、いろいろなレベルで話合いが行われるのが一般的である。とりわけ、公共的な問題について意見が対立する場合には、議論を尽くし、得られた結論を暫定的に正しいものとして受け入れていくことが、最も平和的な解決方法となる。
議会政治は「討議による統治」ともいわれ、意見を交わして論じ合う討議(1)は議会政治の核心をなすものであり、議会における意思決定は、公開の場での討議を経ることで、国や自治体の意思として正統性をもち、政治的に国民や住民の意思として擬制されることにもなる。とりわけ、近代議会では、自己の良心にのみ従った議員による自由な討議により一つの政治的真理に到達するとの信仰が存在していたのであり、意見の対立こそが討議の目的にかなうものとされ、その弁証法的な性格などもいわれてきた。J.S.ミルが、その著『自由論』(1859年)の中で、神ならぬ誤りやすい人間は議論と経験によって誤りを正すことができる、自由な議論が真理への接近を可能とする、政治において理性を失わず常軌を逸しないようにさせるのは反対論の存在であるなどと述べ、言論の自由や討議の重要性を説いたことはよく知られているところだ。
また、多数決は、対立する様々な意見や利害を最終的に多数と少数という形で二元化することを通じて統合する機能をもつことになるが、その点からは、それに至る過程が重要な意味をもち、その間での討議が、多数決が有効に機能するための前提となる。すなわち、多数決に至るまでには、討議を通じ説得・調整・妥協が進められることが必要であり、そこでは、H.ケルゼンが多数決を「多数・少数決原理」と表現したように(2)、少数意見の尊重や多数派・少数派の間での妥協が重視されるとともに、多数意見と少数意見が交代する可能性(立場の互換性)の存在が必須となる。
議論において重要となるのは、そのプロセスをできるだけ公正・公平なものとすることであり、そこでは議論の倫理・作法といったことなども求められることになる。特に、議論においては、参加者の対等性が確保され、それぞれが自律的主体であることを相互に認め合い、尊重し合うことが必要であり、また、理性的な議論のためには、理由を示した主張の展開、反論の機会の保障、説得といったものが重要となる。
その点から、議論の内容に関わるものとして、原理整合性や普遍化可能性といったことも問題とされることになる。
原理整合性は、主張を展開する場合に、その主張をできる限り共通の論拠や共有の知に基づいて正当化することを求めるもので、例えば、法的な議論の場合には、実定法や判例などに基づきこれまでの法的な判断の基礎にある法原理に整合するような形で議論を組み立てることが必要となる。
また、普遍化可能性は、主張が何らかの普遍性をもち普遍化が可能なものであることを求めるものである。普遍化可能性の捉え方には様々なものがあるが、よくいわれるのが「自分がしてほしくないと思うことは他の人に対してしてはいけない」という格律に代表される「立場の互換性」であり、これについては、多くの人々が受け入れることが可能なものといった捉え方もある。「あなた自身の意思の格律が常に同時に普遍的立法となりうるように行動せよ」といったI . カントの定言命法(『実践理性批判』1788年)も、その一つの考え方といえる。
しかしながら、以上のような点は、大衆民主主義の拡大と政党の発達、議会の事務量の増大などに伴って、一種の神話と化すようになっている。とりわけ、現代のように社会が複雑化・多元化し利害の対立が激しくなると、妥協を可能とする社会の同質性は失われ、討議を通じた説得・妥協による統合というのはますます困難となるとともに、政党政治のもとで、議員は政党の強い統制に服するようになることで、議会の審議は形式化・形骸化してきている。そして、多数決が機能する前提を欠くようになると、現実の議会審議では、強行採決や議事妨害なども散見され、これらは病理現象として批判されている。
これに対し、政治的な多元主義(3)や数の力を背景とした議会におけるむき出しの選好の表出・調整・決定に対する批判などから、討議を重視する討議民主主義(deliberativedemocracy)といったことも活発に論じられるようになっている。その内容は論者によって異なるものの、そこでは、多様な政治的アクターだけでなく市民なども加わった公共性の空間での討議を重視する立場が有力に主張されている。議会をどう位置付けるかは微妙なところもあるが、議会自身もその実践者たることを求められていると見ることもできるだろう。
なお、議論を経て得られた結論というのは、正しい結論にもつながりうるものの、あくまでも暫定的なものであることにも留意する必要がある。すなわち、その結論は、暫定的に正しいものとして受け入れていくことになるものであり、状況の変化などによって、再び議論がなされることが排除されるものではない。政策や立法をめぐっては、PDCAの重要性もいわれているところである。
また、プロセスが妥当性・合理性や納得性をもつためには、議論がなされるだけでなく、それを経て導き出された結論がきちんと理由付けられたものであり、かつ、その理由が明らかにされることが重要となる。例えば、裁判において理由を示すべきとされているのも、そのためであり、判決の説得力はまさに理由いかんによることになる。行政手続においても、理由の提示は重要な意味をもち、行政手続法や行政手続条例では、申請により求められた許認可等の処分を拒否する場合には申請者、不利益処分をする場合にはその名宛人に対し、処分の理由を示すべきものとされている(4)。他方、立法については、審議の過程において法案や条例案の提出者から提案理由などが示されるものの、立法資料にとどまり、国会や自治体議会が法律や条例の制定について立法者として理由を示すことはない。しかし、公開されたその審議の過程においてその必要性・合理性等が明らかにされることが必要であり、また、説明責任ということから、議会の側が積極的に情報を発信することは否定されるものではなく、むしろ自治体議会においては住民との関係から理由の明確化が求められているともいえるだろう(5)。