2018.03.12 政策研究
「i」(観光案内所)と観光名所が離れている事情
元日本経済新聞論説委員 井上繁
外国の都市を約束なしで訪ねたときに頼りになるのは「i」(観光案内所)である。その多くは市役所など基礎的自治体の組織の一つで、シティプロモーションの一翼を担っている。まちの地図や簡単な資料をもらえ、込み入った質問だと役所の担当部署の連絡先などを教えてくれることもある。通常は中心市街地のにぎやかな通りに立地しているから便利だ。
フランスのコルマールを訪ねた際、同名の駅を下りて駅前の「←centre(サントル、中心)」の標識を頼りに中心部に徒歩で向かった。
コルマールなどアルザス地方は、第2次世界大戦の激戦地になったが、この都市は幸い戦火を免れたこともあって、木組みの家の街並みや石畳の道などに中世の面影が残っている。中心市街地の石畳の道は縦、横、斜めに入り組んでいて分かりにくい。とりあえず、人がたくさん歩いている道を見つけて、そちらに進んだ。ほどなくして「←i」の標識を見つけたときは「しめた」と思った。標識は目的地の近くに出ていることが多いからである。
ところが、指示通りに進んでもそれらしい建物は見当たらず、分岐点にぶつかる。すると、また「←i」「i→」といった標識が登場する。歩行者天国にテントを張って何軒もの店が出ている朝市の会場のようなところも通り抜け、花壇の周りにベンチの並ぶ広場も通過した。結局、「i」は旧市街地北北西の環状道路の内側に接するところにあった。正確に数えたわけではないが、この間、少なくとも十数カ所の標識の指示に従い、たどり着いたことになる。
環状道路内側の中心市街地の面積は、東京・銀座よりやや狭い程度である。中心市街地の中央から北にかけては車両が乗り入れできない歩行者天国で、その面積は中心市街地全体の半分くらいである。
コルマール訪問の主目的は、イタリアのベネチアをほうふつとさせる写真で見たプチットヴェニス(小ベニス)の美しい建物やまちを確認することにあった。「i」で聞くと、それは中心市街地の南部にあるという。再び歩行者天国を通って、現地に入った。この目で見たプチットヴェニスの住宅群は、2017年3月10日号の本連載「モノトーンのまち並みにスポットライト」で取り上げたドイツ・フロイデンベルクの住宅とは正反対に、カラフルだった。
といっても、それはけばけばしさがなく、全体として落ちついた、淡い色である。例えば、壁の色は、末尾の写真に入らなかった手前の住宅を含め、白、クリーム色、薄いピンク、薄いれんが色、薄いブルー、薄い灰色などである。木組みの木の色は黒みがかった茶系統で、組み方は縦、横を基本にV字型、X字型なども加わっている。屋根はおおむねこげ茶色で、3~4階建てである。
市全体の主要施設や地域を地図で改めて確かめると、「i」と小さな堀を挟んだ向かい側には、モネ、ピカソなどの作品を展示している観光スポットの一つ、ウンターリンデン美術館がある。旧修道院を改造した建物である。やはり観光客に人気のプチットヴェニスは中心市街地南部の運河沿いの地域に位置する。つまり、南のプチットヴェニスと、北の「i」を訪ね、ウンターリンデン美術館を見学するには、途中、迷路のような歩行者天国を通らなければならない。
歩行者天国には、これ以外にも、いくつかの博物館や美術館がある。コルマール観光局は、一般の観光コース以外にも、中心市街地の新しい魅力を発見する「発見コース」、建物のイルミネーションや、フォークダンスの夕べを楽しめる「夜間コース」などを設定している。ストラスブール市の南70キロメートルに位置するコルマールは同市から電車で30分の距離にあり、ガイドブックなどは日帰りを前提に記述していることもある。人気スポットと「i」を歩行者天国を挟んで離したり、夜間コースを設定したりといった工夫は、訪問者の滞在時間を長くするための大都市近郊の観光地ならではの作戦に違いない。