2025.11.10 予算・決算
第2回 やるべきことをやるだけでいいのか
政策や施策事業を評価するということ
私たちは、なぜ政策や施策事業をきちんと評価しなければいけないのでしょうか。政治家にとっては、掲げた政策を実現できたかどうかは政治生命にかかわりますが、自治体職員はその評価が自分の生殺与奪につながるわけではありません。
しかし、私たち自治体職員は、地方財政法4条で定められた「地方公共団体の経費は、その目的を達成するための必要且つ最少の限度をこえて、これを支出してはならない」という予算執行の原則を遵守する必要があります。すべての公費支出には「目的を達成」する義務と「必要且つ最少の限度」に抑える義務が課せられているのです。
したがって、目標を達成したかどうかは必ず評価されねばならず、仮に達成したとしてもそれが必要かつ最少限度の支出であったのかが問われ、目的を達成できていない場合、あるいはその経費が必要かつ最少限度の額でなかった場合には、なぜ目標達成できなかったのか、なぜ経費を最少限度に抑えることができなかったのかを考察し、より効果が出る方法、より効率的な方法へと「やるべきこと」を見直すことが求められているのです。
成果を測定しないで評価ができるか
厳密にいえば、大阪・関西万博は行政の施策ではなく、ここで述べた話もたとえ話ですが、私たち自治体が業務で取り組んでいる施策事業はどうでしょうか。
例えば、3年前の予算書に記載された事業について何か一つ選び、その評価を以下の視点で行ってみてください。
・事業の目的は何をどのような状態にすることでしょうか。
・3年たって、今その目的は達成されているでしょうか。
・それはきちんと測定できているでしょうか。
多くの場合、「良好な」、「適切な」、「積極的に」といった定性的な語句で飾られたポエムのような曖昧な目標水準を掲げていて、「推進する」、「目指す」、「図る」などその到達を明言しない逃げ道を用意しているおかげで、目標達成について定量的に測定評価しないで済ませている、逆にいえば定量的に評価することができないのではないでしょうか。
そして、評価を曖昧にすることで、やり方も体制も投入資源も見直されず、ただ事業概要に掲げられた「やるべきこと」の実施だけに意義を見いだし、粛々と「やるべきことをやるだけ」が継続されているのではないでしょうか。
来るべき予算案審査に向けて
前回、この連載で議会での決算審査について、使った金額ではなく何を実現したのか、その成果を問いましょうと書きました。
しかし、事業を評価するためには、まず事前にその事業の目的、社会のどの部分をどのように変化させることを意図しているのか、を明らかにし、その効果測定の時期や測定方法についても確認しておかなければ、事後にそれが実現できたのか、を検証することができません。
成果が出たかどうかが議論できないのに、それが最も効果的、効率的な手法だったのか、という議論を行うことはできませんし、その議論をもとに施策事業の内容や手法を見直す提案もできるはずがありません。
まずは予算の段階で成果を測定する物差しやその評価基準となる数値を当局と議会できちんと確認し合い、決算ではそれが実現できたのかを質疑し、評価する。このサイクルをきちんとつくっていくことが、限られた財源を効果的、効率的に活用し、必要な施策事業を推進していくことにつながるのです。
