2025.11.10 予算・決算
第2回 やるべきことをやるだけでいいのか
大阪・関西万博は成功だったのか
大阪・関西万博が閉幕しました。コロナ禍で開催延期となった2021年の東京オリンピック・パラリンピックに続き国際的な大規模イベントが立て続けに国内で開催され、特に大阪・関西万博は事業費の高騰による採算性への危惧、交通アクセスの悪さ、海外パビリオンの出展遅延など、開催前に様々な課題が山積し批判もたくさんある中での開催でしたが、開催期間が進むにつれて来場者がうなぎ上りに増加し、終わってみれば大成功、という空気が日本国中を支配する、不思議なイベントでした。
私は結局行く機会に恵まれず、現地のことを報道でしか知ることができなかったのですが、あれだけの大規模なイベントを短期間で準備し、開催期間中は想定を超える酷暑の中での運営をされた、その労力は想像を絶するものがあります。
関係者の皆さん、お疲れさまでした。
さて、開催に携わった方々には申し訳ないのですが、一つ疑問を提起したいと思います。大阪・関西万博は「成功」だったのでしょうか?
確かに観客数は想定を上回り、運営経費で見ると大黒字だったのだから大成功といっていい、という意見があるでしょうし、いろいろな批判のある中であれだけの大きなイベントを最後までやり遂げたのだから成功といってあげないとかわいそうでしょ、とか、パビリオンの展示で新しい科学技術や世界各地の異文化に触れることができ感銘を受けた、だから自分は成功だと思う、とか、皆さんいろいろな意見があろうかと思います。
私がいいたいのは、大阪・関西万博を仮に行政が行う一つの政策、事業と見立てたときにどう評価するか、という話です。
やるべきことをやればいい?
例えば、国や自治体が行う政策や事業が成功だったのかというのは、何で評価すればいいのでしょうか。
「やるべきこと(万博の場合、予定されたパビリオン出展による博覧機会の提供)」をすべてやり遂げたら成功というわけではなさそうです。なぜなら、「やるべきことをやる」ということが目的なのではなく、ある目的を達成するために「やるべきこと」を手段として選択し、それを実施しているにすぎないからです。
例えば、待機児童解消のために保育所をつくる、という場合、保育所をつくるのは手段であって、目的は待機児童の解消です。どれだけたくさん保育所をつくったところで、それが利用実態を伴わず、待機児童が解消されなければ、事業として成功したとは評価されません。
では、大阪・関西万博開催の目的は何だったのでしょうか。
その目的は、万博の開催という手段によって達成されたのでしょうか。
