2024.12.25 仕事術
第27回 どうする総合計画②
「善き」を「よき」に表現変更
同様に、当時の市長の価値観の押しつけが感じられたのが、「善きふるさと」という表現でした。
特別委員会の議論では、「将来都市像、絆、自然、文化 元気あふれる『善きふるさと所沢』」という表現が使われた経緯、内容について質疑を行い、誰がこの「善き」を言い出したのかを確かめました。特別委員会では、市民検討会議の委員に参考人招致を行い、この表現に関しては、市民検討会議の委員が提案したものではないということが明らかになりました。
参考人からは、「この文章を見たときに市長の顔が浮かんだ」との発言がありました。「どういうプロセスで、誰がこの文の原案をつくったのか」という質疑に対しては、「市民検討会議におきましては、グループワークのような形で様々なキーワードを出していただくというような作業を行いました」。「そちらの方で出てきた文言等を、事務局の方でまとめて、第1回の総合計画審議会に文案を提示しました」。「その後、第2回の総合計画審議会では、この将来都市像の文案についてご意見をいただく中で、このような絆であるとか、ふるさと所沢であるとかといった表現を事務局の方で採用しました」との答弁がありました。
さらに「この『善き』というのは、なぜ『善』の字を使ったのか。行政が善悪の判断を行政文書の中でこのように書いてよいのか。行政は、いつから善悪の判断をする機関になったのか。善悪の判断を押しつけるというのは非常に危険な行為ではないのか」という質疑に対し、「『善き』は、この『善』という漢字を使ったけれども、例えば、善行表彰のような、善い行いと善い言動などといったようなイメージからその『善』といった漢字が使われてきました。それまでに所沢市から発信した文書などでも使われてきた『善きふるさと所沢』といった文言を採用したというようなことでございます」と答弁がありました。
また、別の議員からは、「『善きふるさと』というこの文言は、どこから提案されたのですか。市長が提案したのではないでしょうか。市長のある団体に対する祝辞の中に、善きふるさとづくりを進めますとありますが、こういう総合計画というのは本市のまちづくりに関わる全ての人たちと共有するものです。これでは共有できません。善とか悪とかいって、それぞれの人によって価値判断が違うじゃないですか。平仮名にしろという議論はなかったのでしょうか。『善』と書かれたら共有できないではないですか」という質疑があり、これに対しては、「特に市長から『善きふるさと』という言葉を入れろというような指示があったものではありません。そのほかのいろいろな施政方針などでも発言をされてきた中から、事務局の方で採用させていただいた」と答弁がありました。
直接的な市長の指示はなかったものの、市長が中心となって定められる施政方針などで「善きふるさと」と使っていたので、その表現を採用したというのが執行部の見解のようでした。
「市長のこれまでの発言を聞いて、事務局の忖度(そんたく)で入れたということでよろしいか」という質疑に対し、「それまでの文章で使われてきた言葉からの採用で、文字の使われ方については総合計画審議会等では特に指摘等もございませんでしたので、そのまま採用しました」と答弁がありました。
また、「パブリックコメントでは、『(善きという表現が)おかしいのではないか』と寄せられているが」との質疑に対しては、「パブリックコメントで確かに『善き』についてのご意見があったという経緯があり、その中でパブリックコメント結果についてどのように対応するかというところで、総合計画審議会の方にかけさせていただいて、『善き』はこの漢字のままでよろしいといったところで現在の状況になっている」と答弁がありました。
さらに、「審議会の中では、特に漢字を変えるべきであるとか、平仮名の方がいいのではないかとか、そういったところまでの議論にはならなくて、当初の案のままでよいとなった」との答弁がありました。この「善き」という表現に特別委員会では多くの議員から疑問が呈されました。
特別委員会でも最も議論がなされたこの「善き」表現については、原案で「善きふるさと所沢」と表記された「善き」の漢字を、平仮名の「よき」に修正しました。
提案理由は、直接的に善の文字を使用することについて否定するのではなく、「より広い意味での善悪の善という『善き』も含めて平仮名の『よき』にすることで、優良可の『良』あるいは人偏に土を二つ書く『佳き』など、さらに広い意味を加えることによって、より多くの市民に理解と共感をいただくような内容に変えるものである」と、提案した議員より説明がありました。
これもやはり、市長の提案権の侵害となってはいけないので、議会としてはより広い意味として「よき」を定義するという形で提案しました。この修正については、当時の市長に最も近い会派が反対し、全会一致とはなりませんでした。
反対した会派からは、「『善』という漢字を用いたこの『善きふるさと』という表記は、誰かにとってよいという意味ではなく、今日、社会のあり方が見つめ直される中、後世に善き社会のあり方を示していく、すなわち、どのような所沢を残していきたいか、市民検討委員会での議論を経て将来都市像として形づくられたものであります。ここにおける『善きふるさと』の大切にするべき意味として、今所沢に住む私たちだけではなく、未来の子どもたちに誇れるまちを残そう、誰もが誇れるまちをみんなで目指していこうという前向きなメッセージであると受け止め、原案に賛同いたします」との見解が示されました。正直よく分からない主張でした。
ここまでこの「善き」の表現がもめたのは、当時の市長が「善」ではなく、「独善」的であったことが大きな理由であったと私は考えています。前述したように、当時の市長の「独善」により多額の税金を使って住民投票が行われました。このような市長の語る「善き」は信用できないという背景があったために、多くの議員が修正に賛同したのではないでしょうか。