2024.11.11 コンプライアンス
第7回 議員のパワハラに市長が申入れ
A県B市議会のC議員によるパワハラ事案
今回のケースは、A県B市議会のC議員によるパワハラの事案です。2024年9月に行われたB市議会の一般質問の最中に発生しました。この様子は市議会中継を通して周知され、複数のテレビ局が取り上げるなど大きな問題に発展しました。
(1)本事案の概要
2024年9月にA県B市議会のC議員は、一般質問の場において、自身の質問に対する答弁を行おうとした職員に対して大声を上げて答弁を制止しようとしました。さらに、職員の個人名を連呼するなど、職員に精神的苦痛を強く感じさせるような言動がありました。
また、この一般質問の事前ヒアリングの際に複数の職員に対して「動議を何回もして1時間ずつ会議を止める。朝までする」などと心理的圧迫を感じさせる発言を行い、さらに事実を誤認させるような発言が4件、客観的事実が明示されてない発言が4件あったなど、ハラスメントだけでなく議員活動における問題点も明らかになりました。
B市のD市長は本事案をハラスメントに当たるとして、市議会に対してB議員の言動を検証し、再発防止策を講じるように申入れを行いました。
(2)本事案の問題点
本事案では、大きく三つの問題点が挙げられます。一つ目は、C議員が一般質問の場で職員の答弁を大声で何度も遮ったことです。本件については、D市長からB市議会に対してハラスメントに該当する言動であるかを検証するように申入れが行われているため、現時点(2024年10月20日時点)では「ハラスメント行為であった」と公式には認められていません。ただし、問題の言動は市議会中継において公開されており、この言動を確認したところ、後述する一般質問の事前ヒアリングなど一連の行為と関連付けてパワハラが認められる可能性が高いと感じています。
二つ目は、事前のヒアリングにおいて職員を威圧する発言が行われていたことです。先述のとおり「動議を何回もして1時間ずつ会議を止める。朝までする」の「朝までする」とは「業務の適正な範囲を超える」というパワハラの要素を満たした要求といえます。このような言動が明らかになった点も問題点といえます。
三つ目は、C議員のパワハラと受け取られる可能性のある言動が過去の議会でも行われていたことです。2024年6月議会でもC議員の動議により50分間議会の進行が止まり、2023年12月議会でもC議員がD市長や市職員を誹謗(ひぼう)中傷していると捉えられる発言があり、今回の申入れは一連のハラスメント行為をやめないC議員に対する書面での申入れとなりました。
この一連の問題に対してC議員は記者会見を開き、「言われていることに関して私が捉えていることに関して食い違いがあると思います。私は口調が強いかもしれない。パワハラに感じられるかもしれない。でも私は内容的なことというのは間違ったことは私は言っていないと思います」(原文ママ)と、パワハラを否定し、正当性を主張しています。
本事案について一連の経緯を確認したところ、C議員の主張する内容そのものは決して間違っているものではなく、市議会議員として適切な行政運営が行われているかを執行部に対して問うものでした。しかし、威圧的な言動を行っているのは事実で、自身も「私は口調が強いかもしれない。パワハラに感じられるかもしれない」と認めています。執行部と適切にコミュニケーションをとれていなかったことが、本事案最大の問題点といえるでしょう。
(3)原因と対策
今回の申入れが行われた背景には、C議員のコミュニケーションが不適切であることが挙げられます。ハラスメントが社会問題として認知されてからは、強い口調による繰り返しの詰問は「威圧的な言動」と捉えられることが珍しくありません。また「朝までする」のように要求を受け入れるまで詰問を続けることは「恫喝(どうかつ)」と捉えられるため、現在では到底容認できる言動ではありません。
C議員は「間違ったことは言っていない」と主張するように、自分が正しいという姿勢を崩していません。今回の申入れを受けてハラスメントであるかどうかが判断されることになりますが、おそらくハラスメントと認定されてもC議員のスタンスは変わらないでしょう。C議員の中に「無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)」があるからです。
C議員は会見で「市長が逃げるのであれば市民のために追及するのが当然だ」と自分の言動を正当化しています。これは、C議員の自分自身の過去の経験から、大声で追及し威圧することが正しい行為であると認識する「アンコンシャス・バイアス」によるもので、本人はむしろ「なぜこれが問題視されるのか?」という疑問を持っている可能性もあります。
「アンコンシャス・バイアス」は長年の経験からくる「無意識の思い込み」や「偏見」が原因なので、まずは本人が自分の中にある考え方が思い込みや偏見であるということを理解するところからスタートする必要があります。