2023.07.10 仕事術
第4回 どうする議長選②
なぜ自然閉会したのか?
では、「なぜ、初日に会期・日程の決定ができなかったのか」。この抗争を引き起こした首謀者の一人として、その経過を記憶の糸をたぐり寄せて振り返ってみたいと思います。
何せ18年前のことなので、細かい部分は間違っているかもしれませんが、その点はご容赦ください。騒動の経過は、公式の記録には残っていません。当時の同僚議員にも改めて確認したのですが、やはり細かいところの記憶は曖昧なようです。なるべく公表資料を頼りに記憶を蘇らせたいと思います。
本格的な説明に入る前に、2005年当時の議会の状況を確認しておきます。まず、私は、1年目の1人会派暮らしを経て、2年目には若手の気の合う2人の議員と、保守系の議長経験のある2人の議員を加えて、合わせて5人で会派を結成しました。私以外の4人は、それまであった保守系最大会派を飛び出て、この新しい会派に加わりました。
結果として保守系会派が分裂したことで、最大会派だけでは議長を選出できない状況になりました。
5月に入って連休も明けてから、次期議長選出に向けて、各会派が動き出しました。
我が市議会は、原則として毎年、議長が交代します。通例では、市長与党最大会派や中道系の与党会派から、当時は議長が選出されていました。私の所属している会派は、いわゆる保守系第二会派で、そのままでは議長選挙の主導権は握れない状況にありました。
我が会派から議長を出す必要はないが、やはり議長を選出する主導権は確保したいという思いは、会派の全員が共通認識として有していました。
「王様は裸だ」ということを執行部に理解させるための抗争
議会においては、議長を選出する権力(議長選出権力)を有する会派なり議員が、議会内では実質的に最高権力を有しているといえるでしょう。議長を選出できるということは、RPG(ロールプレイングゲーム)ソフトでいうところのラスボスであり親玉だからです。
執行部の幹部職員から見れば、議会の中の動きはよく分からないので、議長を選出することができる会派や、議長を選出するに当たって調整力を発揮する議員は、議会をコントロールできる親玉とみなすということです。
執行部の幹部職員が親玉とみなすと、幹部職員もその議員や会派を過大評価し、忖度(そんたく)することで、結果的に、実際有している実力以上に権力が肥大化します。「親玉にさえ話をつけておけば、あとは黙らせることができるだろう」との思いもあるようです。
しかし、当時の議会内部の実情としては、保守系最大会派も中道系会派も実質的にはそれほどの権力がないことは、内部にいる議員からは明らかでした。「王様(親玉)は裸」だったのです。
試しに票読みをしたところ、当時の定数は36人で、保守系最大会派8人と中道系会派6人で14人。一方、それ以外の会派の議員数をまとめると、議長を除き22人になり、まとまれば議長選挙で勝てる可能性が高いことが分かりました。
我が会派から議長候補を出しても、他の会派の協力が得られないので、あえて議長には、今はなき党の会派(議員数5人)の当時5期目のB議員を、そして副議長には、戦前からある全国規模の組織政党ながら、議長はおろか副議長も選ばれたことのない会派(会派の議員数6人)の6期目の女性のC議員を候補としました。対立陣営も、まさかそこまで連携する会派の対象を広げて、踏み込んだ候補者選びをするとは思わなかったようで、油断していました。
我が陣営は、少数会派にも賛同をいただき、過半数を超える票を確保しました。その後、定例会1週間前の代表者会議で、B議員が今はなき党の会派から議長に立候補することが会派代表者会議で報告されました。そして、ここで一計を案じました。戦前からある全国規模の組織政党のC議員も、副議長候補ではありますが、議長に立候補すると宣言したのです。6票がB議員に投じられないとしても、保守系最大会派と中道系会派だけでは多数を確保できない状況は、相変わらず変わりません。ただ、このシナリオを書いていたのが、我が会派であることはまだ露見していなかったので、我が会派が保守系第一会派及び中道系会派に加われば19人になり、何とか議長選を勝ち抜くことができるという読みが対立陣営にはあったようです。我が会派がどこにつくのか関心も高かったことから、対立陣営からも探りを入れる働きかけがずいぶん行われました。