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2021.06.25 一般質問

第12回 一般質問を議会の政策資源に②「議員ひとりのもの」で閉じないルート開拓を

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一般質問という「議員ルート」の合理性

 現状の一般質問の「質」について、筆者も「残念な質問」や「もったいない質問」として整理しているし、個別には市民性や公共性を疑いたくなるものもある。しかし、その現状と同時に存在する、「〈政策・制度〉の問題提起として検討されるべき質問」が「議員ひとりのもの」であるために流されてしまうことは問題であり、議会のシクミとして整備される点であると考える。
 一般質問は、議会の「争点ルート」として効果的であり、それを起点としたシクミは議会の「〈政策・制度〉の制御」という成果にとっても有益である。
 例えば、市民ルートと比較して見てみよう。市民ルートの価値は、まちの課題の現場である市民生活で気づかれた(発見された)課題が直接持ち込まれることにあるといってよい。一方、市民は自らの市民生活で気づいたこと、困りごとを持ち寄ることと思われるが、それらがすべて自治体〈政策・制度〉の課題というわけではない。一方、重要な〈政策・制度〉の課題であっても、その声を聴く側が「苦情」と認識して終わってしまうこともある。つまり、寄せられる市民の「声」から、どれがどのように重要な〈政策・制度〉であるか、あるいはそうでないかを「翻訳」する必要が議会にはある。
 一般質問では、そうした「翻訳」を議員が自らの政治活動の中で一定行って、〈政策・制度〉の課題として論点を形成したものが示される、はずである。もちろんあらゆる一般質問が「〈政策・制度〉の課題として論点を形成したもの」とは限らない。当然、「〈政策・制度〉の問題提起として検討されるべき質問」が選定される必要がある。一般質問は現在の制度でも、議員が、政治家として、議員としての活動と知見の集約として、我がまちの〈政策・制度〉をめぐる課題を、自発的に、その必要があるから提起するものとなっているはずだ。そこから「選択」を介して、議員としてではなく委員会として、議会として「〈政策・制度〉の問題提起として検討されるべきもの」を選定すればよい。加えると、本会議での質問と答弁を通じて、行政がどのようにその問題提起を認識し、どういう公式見解を示したか、それぞれの議員が知っているはずだ。一般質問それ自体でだけでなく、議員による我がまちの〈政策・制度〉の問題提起を、委員会ないし議会による検討対象として選定するスクリーニングのシクミとしても、有効に生かせると思われる。
 もし、一般質問を現在の「議員ひとり」に閉じたものにせず、「ルート」としてその「次」を用意するとすれば、やはり図2のように、一般質問(→何らかのシクミによる選定)→委員会で調査・議論・提言→議会として議論・提言というルートになるだろう。「委員会の調査事項とするための選出」というあまり大きくないシクミさえできれば、ルートはつながる。
 現状の一般質問をめぐる評価や認識からは、このルートを開くということも簡単ではないと感じられるかもしれない。「そうはいっても、現実の一般質問の『質』が」というためらいには、「質」の問題のある内容であれば、そもそもそのルートを通れない=選定されないだろうと答えたい。「自分ではない誰かの問題提起だが、それがまちの課題として重要だから、自分の、また委員会としての活動時間と労力を割く」価値のあるものが「選定」されると想像できる。
 「質」をめぐって付け加えると、「現実の」一般質問には、根拠や訴求力の課題はあるが、その点の気づきは重要だ、というものもある。もともと、議員ひとりの調査力には限界がある。一般質問での提起が委員会に受け入れられ調査事項となった経験を持つ議員からは、「委員会調査となったことで、行政から提供される情報の質量や対応が大きく変わった」という声も聞く。それは、「議員ひとり」と「議会(の正式な機関)として」の活動が持つ力の違いでもある。こうした「議会として」の力の発揮を感じられていない議員も少なくないのではないか。
 「議員→委員会→一般質問」というルートをその「質問の内容」が通っていくことをめぐって、議員からも、「自分が熱意を持って取り組んで提起した内容を横取りするのか」という感覚があるかもしれない。これも一般質問が「議員ひとりのもの」という理解に基づく感覚でもあろう。実はそれは、「横取り」ではなく、「価値ある質問だったのでより高いレベルに上がった」ことであり、そう受け止められるようになることが望ましい。そのためには、「提起者が誰であったか」がその後の提言の中にも記されるような、「議員が報われる」工夫(シクミ!)も必要だろう。自分が目指す〈政策・制度〉の「制御」を現実にするためにも、委員会の調査事項になることは有益なはずだ。そもそもをいえば、議会の役割は「我がまちの〈政策・制度〉をよく制御する」ことであり、議員はその構成員として選出されているし、本会議で質問時間が与えられているのは「議会の一員として」の問題提起のための時間であるはずだ。一般質問は、その発見や発掘は個人としての議員の思考の成果物で、その貢献が「報われる」ことは、委員会で調査事項となること自体だけではなく必要であろう。そしてそのことが「次の質問」への動機になり、よい循環を生み出していくだろうといえる。ただ、一般質問は、いろいろな意味で「議員ひとりのもの」にとどまるべきでないのだ。
 委員会メンバーの「選択」した〈政策・制度〉の問題提起が委員会で検討つまり調査・議論されることは、政策をめぐる議員間討議そのものである。そのことが、議会の機構である「委員会として」、さらには「議会として」の議論と関係性の醸成につながるということも指摘できる。委員会で所管事務調査の取組みを定例化する議会も増えてきたが、所管事務調査のためにテーマを選ぶと、「○○について」といった争点性の低い「学び」としてのテーマになりがちである。その場合、「学んだ結果、いろいろ難しいので、(行政は)一層頑張ってほしい」といった結果になることもある。「選定」で通った一般質問であれば、おそらく、具体的な論点が明確で争点性が高いものであろう(そうでなければ、そもそも「選定」されないであろう)と想定でき、調査も具体性のある結果にたどり着くのではないか。
 改めて確認しておきたいが、一般質問による「議員ルート」に労力を全振りしてどんどん進め数を稼ぐべきだといっているわけではない。質問を委員会で「選定」し調査するというシクミを用意し、一般質問を「議員ひとり」に閉じたものではなくなるルートを用意することは、自治体〈政策・制度〉の議会による「制御」という「議会の成果」のためにも、提起した議員のためにも有益なシクミにできる、ということだ。一般質問も所管事務調査も現在すでにある制度で、それをつなぐジョイントとしてのシクミを一つ入れる。それはあまり大きなシクミではないだろう。特に、所管事務調査がすでに定例化している議会なら。
 それでも、議員の中の誰かの(特に「あいつ」の)「手柄」になるようなシクミを入れることは難しい、という議会も少なくないだろう。それぞれの議会の選択であり、合理性いかんの問題というよりも感覚の問題であり、そうであれば仕方がないとしかいえない。その代わり「市民ルート」、「行政ルート」の拡充に努めるという選択肢もあるかもしれない。「議員ルート」については現状が続くだけのことだ。ただ、議会に流入する「争点」のルートとして、一般質問は「議員ひとりのもの」にしておくには、議員にとっても、議会にとっても、ひいては市民にとっても「もったいない」ものであることは指摘しておきたい。一般質問は、議員が自らの発意で〈政策・制度〉の課題を提起する数少ない機会であり、それが優れたものであれば議会の政策資源になりうる。議会による〈政策・制度〉の制御という「成果」が増えれば、それを享受するのは市民である。「議員→委員会→議会」という〈政策・制度〉の「制御」ルートができて、そのルートが使われるようになることで、「議員ひとりのもの」であることに由来する一般質問の現状の問題も、変わるかもしれない。そうした可能性があるということだ。

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