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2020.12.10 コロナ対応

第9回 災害としてのCOVID-19と議会自治

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災害としてのCOVID-19

  新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、ゆっくりやってきた災害といえる。ゆっくりやってきて、長く継続し、そして誰もが被災者であることが特徴だ。被災地でないところから、今、痛みのある地域に支援に入るような対応はできない。ここでも、私たちは、いまだかつてない災害の形態を経験しているといえる。
  さらに、議会にとって重要な点は、「直接対面での話し合いに制約がかかる状況がいつでも起こりうる」ということである。ワクチンの開発など朗報もあるが、広く一般に行き渡り、期待されている効果が発揮されるか、またこれだけ広がったウイルスが変異していないかということについても未知数である。
  では、議会は「議会として」その状況にどう対応するか。
  混乱期にあった2020年3月議会、6月議会が終わり、9月議会からは一定の感染対策を経て、ほぼ平常どおりの議事日程で行われているようだ。ただし、12月議会では、議員自身が感染し、あるいは濃厚接触者となり無症状であっても議場にいられない事例が増えている。「直接対面での話し合いに制約がかかる状況がいつでも起こりうる」のである。
  一方、今年度の「議会報告会」は、多くの自治体議会でとりやめになっている。まだ年度末までの日程を残している議会もあると聞くが、現在の感染状況の大きな回復がなければ、寒い時期の実施には二の足を踏むであろうことが想像できる。議会報告会というか、市民との対話の機会を、一定の感染対策をとって開催した自治体もある。この差はどこにあるか。
  本連載では、以前、人々が自発的に動くのは、それが「必要」だからか「楽しい(ヨロコビがある)」からだ、と書いた(連載第2回)。単純な整理だが、ここでも当てはまる。議会が開催されなければ議事を処理できない。議会にとっても行政にとっても「必要」という強い引力が働くのは当然である。他方、傍聴については、「自粛」や行わない議会もあった。議会としては「主権者に開かれている」ことが「必要」であっても、感染のリスクとの間で判断が分かれた点である。少なくとも、「議事を処理する」こととは等置されてはいなかった。しかし、混乱期はともかく、「公開されていること」は、中継や何らかの代替手段で確保されなければならないし、その後、また期待ではあるが今後も、公開は「何らかの代替手段で確保」されるとしたい。それが「議会にとって」、「必要」だからである。
  気になるのは、「市民との対話の機会」のゆくえである。

「市民との対話の機会」の価値

  「市民との対話の機会」が、議員が職責として議場で議事を審議することと判断が異なる要素は、もちろん多くある。参加者の感染は極力避けなければならない。従前から、その参加者には高齢者が多いといわれており、感染のリスクは高い。主催側として、そのリスクは理解できる。しかし、そこでは、自動的に中止が決まるわけではなく、「判断」の余地がある。それを測る材料は、そのときのその地域の感染状況と、市民との対話の機会がその議会によってどれほど意味や価値があるかによる。言い換えれば、「必要」と「ヨロコビ」だ。うがった言い方をすれば、議会基本条例に書いてある「市民との対話の機会」が、どれくらいそれぞれの議会にとって重いのか軽いのかが、ある意味、透けて見えることになる。
  実際に開催した議会の例(長野県飯田市議会など)から見れば、①会場の広さから参加者に定員を設け事前申込制にする、②入り口で検温と体調の確認、アルコール消毒を行う、③感染者が判明したときのために連絡先を得る(個人情報として厳正に管理することを明確にする)、④座席の配置や換気に工夫する、また⑤これらの感染対策をあらかじめ示しておく(その上で、参加者自身の判断に委ねる)といったところだろう。また、併せて、これらの対策があっても感染レベルによっては中止しうるし、そのレベルがどれくらいかを示しておくとよいだろう。
  また、本来、不特定多数の自由な市民の参加として設計されたはずの「市民との対話の機会」が、①〜⑤を満たして開催されたとしても、基礎疾患を持ち、感染に不安のある市民は参加できないということを留意しておく必要がある。つまり、従前はこの機会で拾えたけれどもCOVID-19の影響下では拾えない、そうした市民の声をどうやって聴き、対話するかという課題はなお残る。結局それは、「直接対面での話し合い」の多様な代替手段を複数検討するということになる。
  そして、どこまでそれができるかは、それぞれの議会にとっての「市民との対話の機会」の価値(必要性+ヨロコビ)の大きさによるといっていいだろう。「議会にとって」価値がないわけがない(そんなことは間違ってもいえない)が、リスクを踏まえて判断の余地があるときに、「議会として」判断できるかが、ここでもカナメになる。

「ウィズコロナ」という諦め

  このように、COVID-19の感染状況を制約条件に「直接対面での話し合いができない状況」で、話し合いの機関であるはずの議会がどのように対応するかが、この災害が長引いて「緊急避難」の段階が過ぎた今、「議会として」問われている。議員はこの災害には他の市民と同じように被災者であり、感染リスクの高さという点では「より被害が深刻な被災者」になりうる渦中の存在でもある。「議員として」ではなく、「議会として」どう対応するかを議員同士で決めることができなければ、感染リスクを極少化する、つまりできるだけ何もしないことが優先されるだろう。
  「ウィズコロナ」という言い方には、著しく違和感を持つ。ウィズ天然痘とか、ウィズペストとかいうだろうか。Withはagainstと歴史的には同義で、対立的な対比を示すときもあるが、一般的には「一緒に」存在する状態を示す。せめて、「対峙(たいじ)する」ではないか。しかしその言い方がこれだけ広がっていることには、単に日本人の英語能力ということではなく、闘う、克服する、超えていくといった心理よりも、諦めや「コロナだから仕方ない」という受忍が潜んでいるように思われる。しかし、私たちは、それを言い訳に使っていないだろうか。

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