2019.12.10 話し方・ファシリテーション
第2回 議会と市民の「話し合いの場」をデザインする
3 前提1:市民が来てくれる意義と価値があるか
議会にとっての目的と手段を整理するとして、そこに市民が来てくれるかは、議会の思惑とは別の問題である。義務でもないのに、それぞれが時間をつくって足を向けて来てくれるとしたら、その機会には市民に足を運ばせるだけのどんな意義があり、市民にとってどんな価値があるものといえるか。
人が自らの意思によって動くとき、言い換えれば内発的な動機によって行動するとき、そこにはその人にとっての「必要」か「楽しさ」があるはずだ。「必要」だけでは長続きしないし、「楽しさ」だけではむなしくなるときがある。だから、できればその両方があるとよい。もちろん、「楽しさ」をもってもらいたいといっても、それでは金券を配ろう、豪華に供応しようということとは違う。「議会が設定する、市民との話し合いの場」として、参加する市民にどんな意義ある、価値あるものに設計することができるか。
この点も高尚すぎる設定でなくていい。市民から見たときの意義付け、価値付けを考えて言葉にしておこうということである。
何を発話してもらい、それを今後の議会にどう受け止め、生かしていくかを確認し、整理するだけでもいい。「今日、集約させていただいたご意見は、次の委員会の冒頭で報告して議事録に残し、それを踏まえて我々で議論を重ねていきます」と具体的に伝えれば、議会として市民の意見をどう受け止めるかを示すことができるだろう。
だいたい、今、議会に関心があって来てくれるという市民は、奇特でありがたい人だ。その奇特でありがたい人が、「今日、ここに来てよかった」と思える設計にしているか。今日、この場にいてくれる感謝を伝えているか。「今日、ここに来てよかった」と思わないのに、なぜ次回も来てくれると想像することができるのだろうか。だから、市民にとっても実りある機会となるよう、設計を工夫する。「話し合いの場」の意義や価値を高めるということは、実りある「話し合い」にすることでもある。ここで次の前提に移ろう。
4 前提2:話し合いに盛り上がりと実りを
もちろん、市民と議会との間での「話し合い」に限らず、話し合いの場の設計では、話し合いが盛り上がること、話し合いの実りが豊かであることが目指される。話し合いの盛り上がりと実りを考えるとき、それを規定するものは「争点×機会+形式」と表現できるだろう。
この場合、「争点」は、我がまちの政策課題であり、簡単にいえば話すネタである。問題だと思い、話したいと思う、そういう話題設定になっているか。
「機会」とは時機、つまりタイミングを指す。話し合うことに意味のあるタイミングか、政策過程にとってどのタイミングなのか、このタイミングは、話し合いの場の形式にも関係してくる。
例えば、自由な議論ができるのは、決断から遠い時点である。決断の時点から遠ければ遠いほど、幅広い自由な意見で議論することができる。その分、そこで結論まで出そうとすると大変だが、結論はそこから決断の時点までの間に形成していくものでもある。
時間が経過していくと、自由な意見交換はしにくくなる。意思形成過程が進むと、今度は、特定の論点をめぐる議論が必要になっていく。そうならないで決断のときを迎えると、「議論が未消化」ということになる。決断が間近なのに、「自由な議論を」というときには、予定調和的な結論が前提になっているガス抜きの場だという可能性を考えた方がいい。意思形成過程で進めてきた議論を逆回転させて再起動する覚悟がなければ、決断間近での自由な議論はできないだろう。
要するに、話し合いたいと思えるネタを、話し合うことに意味のあるタイミングで設定しないと、話し合いは盛り上がらない。どちらかがゼロならゼロだ。
ポストイットやファシリテーショングラフィックなどのツール、ワークショップやワールドカフェといった形態が役に立つのはその後で、でも肝心の「争点×機会」が低いのに、ツールや形態などの形式でその大勢を逆転することはできない。
「話し合い」を実りあるものにするために、およそどの場でも不可欠なのが、「話し合いの場」で発話をしやすくする工夫と、発話を可視化して共有する工夫である。前者の代表がアイスブレイク、後者の代表がポストイットやホワイトボードの利用とイメージしよう。参加者の満足度は、一般的には、発話とその交換、受容によって高まるといえる。市民の発話を尊重して、誠意をもって受け止めていることが伝わる設計を考えたとき、多くの工夫の余地がある。