2019.05.27 小規模自治体
小規模市町村の議会とは ──『町村議会のあり方に関する研究会報告書』について(その14・完)──
過剰予測の逆反射
日本は人口減少社会に突入したのであるが、これは、裏返していえば、ここ十年ほどが有史上、最も日本人が多い時代であるということである。昭和時代は人口増加社会であったといわれるが、少なくとも現時点では、昭和時代よりも実は人口が多いのである。つまり、客観的には、日本列島は最も混雑しているはずである。ところが実感としては、限界集落や消滅可能性自治体などが、あるいは、空き家/空き地/空き店舗などが、クローズアップされ、何となくスカスカになりつつあるという実感がある。これはどうしたものか、不思議なことである。
第1に、実に単純であって、単なる人口の地域間不均衡の問題である。1970年代以来、一貫して存在する過疎過密の同時進行である。したがって、人口減少社会であるか否かにかかわらず、人口の空間的な不均衡配置によって、そして、高齢化率の地域間不均等によって、議員に限らず様々な担い手不足が小規模市町村において顕在化しているだけである。この問題は、むしろ昭和以来の古い問題を継続しているだけであり、人口減少という将来の問題と混同して理解してはいけないのだろう。
第2に、人口減少は揺るぎない将来傾向であり、今後は議員のなり手不足を含む様々な担い手不足は全面的に進行するだろう。そのような将来予測を現在に投影しているのが、議員のなり手不足のイメージである。しかし、本当に議員のなり手不足が深刻になるのは、2030年代以降である。今の議員のなり手不足問題は、むしろ将来に起こりうる悪夢を、あたかもそのまま現在において起きていると想定するようなものである。
このような将来において、自治体議会はどのような存在になるのかを、今から議論しておくことは、大事かもしれない。これが、いわゆる「2040構想」といわれる問題であり、現在の第32次地方制度調査会で検討されている問題である。要するに、2040年頃には、議員のなり手などほとんどいなくなるわけであり、そのときに議会機能をどのように考えていくのかは、難題である。
小規模団体の組織
小規模市町村とはいえ、日本社会の中に存在する様々な組織の中では、決して小さいものではない。小規模市町村の規模は、一つは住民人口という意味の規模であり、もう一つは職員数という意味での規模である。
後者の観点からは、例えば大企業から中小・零細企業/個人事業主まで見れば、民間団体ははるかに小さな団体が多い。それによって、資本主義・市場経済が混乱を来しているかというと、必ずしもそうではない。規模に応じて、それぞれに仕事が変わればよいだけである。こう考えると、小規模市町村の議員のなり手不足という問題は、将来的には、小規模市町村の仕事の軽減あるいは仕事の仕方の簡素化、ということの方が前面に出てくるだろう。全国画一的に、基礎的自治体である市町村に同一の面倒な事務を押しつけるということは、見直されていくだろう。そして、それに応じて、議員機能の需要も決まってくるだろう。
前者の観点からは、自治体は特殊な性質を持っている。民間団体、特に企業であれば、住民に相当するのは株主又は顧客である。株主の数は膨大であっても、実質的に株主総会が機能しているとは限らない。また、顧客の数の多寡は、企業統治の担い手には直接の影響はない。これに対して、自治体の場合には、顧客である住民の中から議員のなり手を探さなければならないのであって、民間企業のイメージでは捉えにくいものである。
世の中には、協同組合、非営利活動法人、社団法人、財団法人、相互会社など、様々な団体がある。こうした団体は、いずれもがそれぞれの問題を抱えることもある。また、実際に担い手不足になっていることは多いだろう。例えば、マンションの管理組合は、区分所有者の中から理事を選出しなければならないが、実際にきちんとやる気を持って担当するその担い手を確保するのは容易ではない。小規模市町村の議員のなり手不足などということ以上に、社会の様々な団体で担い手がなく、活動低迷又は活動暴発が起きるのだろう。その意味で、議員のなり手不足などは、問題としては最後の方に登場するのであろう。
もっとも、自治体は、民間活動が停滞したときにも確保されなければならない、地域住民生活の最後の砦(とりで)である。民間活動が担い手不足で機能低下すれば、市町村などの行政への期待は高まるだろう。しかし、同時に、市町村の担い手不足も並行して起きる。こうすると、小規模市町村の議員のなり手不足も目立つかもしれない。しかし、より深刻なのは、小規模市町村の職員のなり手不足であり、首長のなり手不足であろう。