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2019.05.27 予算・決算

最終回 否決(修正)こそが議会の真髄

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人口30万人を超える自治体議会議員 木田弥

 予算修正こそ議会活性化の本道であるとの思いで、連載の機会をいただき、自らが議会でかかわってきた予算修正の経験について、これまでお伝えしてきた。当初の予定では、自らの議会での経験に加えて、他市事例も踏まえてご紹介する予定であった。しかしながら、諸事情により、今回でひとまずこの連載は終了させていただく。
 最終回の今回は、新たに議員となられた方々に、改めて予算や条例の修正の意義についてお伝えしたい。また、議員の仕事は執行部から出された条例案を粛々と大過なく可決することであると思っている議員もいるため、新人議員だけではなく、2期目以上の議員の方にもお読みいただきたいことはいうまでもない。

アレオレ詐欺にご用心

 否決(修正)こそが議会の真髄──。
 のっけから、刺激的な物言いで恐縮であるが、これは、私が15年間地方議員を務めさせていただいてつくづく感じたことである。
理由は簡単だ。本当の意味で議員の実績として明確にできるのは、議決した結果だけだからだ。議員は、選挙運動や日常の活動報告などで、「こんなことを私の提案で実現しました」と、写真とともに道路の修繕箇所などを有権者に報告する。自分がやっていないことまで「やりました」という、オレオレ詐欺ならぬ、「アレオレ(あれは俺がやりました)詐欺」を目にすることもしばしばだ。
私も、「アレオレ詐欺」には手を染めなかったが、議会での質問内容とその結果を関連付けて、市民の皆様に成果として報告してきた。
 しかし、議員提案条例の制定や議会内の改革などならともかく、道路の修繕や制度の改善などの事業を実際に執行したのは首長である。因果関係を丹念に追っていけば、なるほど議員の議会内における発言がもとになっているといえなくもない。だが、確実にいえるのは、事業とそれに伴う予算案を提案したのは首長なのだ。議会には予算編成権も提案権もない。あるのは否決と修正権だけである。

否決に頼らず、議会提案条例という方法もあるが

 最近では、議会からの提案による条例を制定して政策を実現しようという動きが、議会で活発になっている。私も基本的には賛成である。残念ながら、我が市ではこの15年で議会提案による政策条例は1件しか制定されなかったので、その点では力不足を痛感する。
 しかし、他市町村議会が制定した議会提案による政策条例を見ると、本来の政策実現という目的は達成できていない印象だ。首長からすれば、「議員さんが頑張って勉強して条例をつくられたのだから、多少の予算措置はしてあげなくては」ということもあるだろう。しかし、所詮その程度のものだ。これは、議員の能力不足ということではなく、そもそも議会には立法を実現する資源が限られているからだ。
 そんな遠回りをするより、執行部提案の予算のうち市民にとって必要がない部分を修正すればよいのだ。修正とは、執行部から見れば否決である。ところが、こうした事例は本当に少ない。
 やみくもに、全ての議案を否決すればよい、といっているのではない。ただ、構えとして、まず否決することを前提として考えてみる。そうしないと、いつのまにか、頭の中から否決という回路がすっぽり消えてしまう。

否決は蜜の味?

 現実に、皆さんがこれから活躍される地方議会で、議員として何期も経験していながら、一度も執行部提案の議案を否決したことがない、という議員は珍しくない。特に、首長と議会多数派が手を携えている場合はなおさらだ。そういう活動を長年続けていると、肝心なときに否決できなくなる。否決への恐怖心が生まれるからだ。
 我が市でも、市長が交代し、それまでいわゆる与党的(地方議会は議院内閣制ではないので、与党や野党はありえない。念のため)な立場だった会派が、市長の提案にムリムリ賛同しなくてもよくなった。そこで、この機を捉えて、否決しても市民に直接影響がない市長の任期制限条例提案に対する否決を、いわゆる与党的会派にも持ちかけてみた。それまで反対したことがなかった議員の一部は、「否決したら、明日から執行部の対応が冷たくなるのではないか」との恐怖心を漏らした。否決するときは「震えた」ともいう。何しろ初めてのことだから。そうこうしながら、議案は無事、否決された。否決したところで、現場の職員から提案された議案でもなかったので、執行部の態度は何も変わらなかった。不安を抱いていた議員も一安心したようだった。
 それだけではない。否決を通じて、職員も学ぶことになる。「議案って、否決されることもあるのだ」と。むしろ、職員が改めて議会の権限のすごさを垣間見ることになる。
 この否決をきっかけとして、いわゆるかつての与党的な会派と組んで、組織改正条例で、新たに編成された子育て対応の部署の名称を「こども支援部」から「こども未来部」に変更する修正案(執行部から見れば修正ではなく、否決)も可決させることができた。
まさに「蜜の味を知ってしまった」のだ。それまでは、「蜂の巣の中にある蜜を食べるなんて、とんでもない。刺されるぞ。木の実だけ食べていれば安全だ」というように飼いならされていた。ところが、議会は、部の名称も変更する権限を持つことが分かったのだ。法律では可能であると知識として知っていることと、それが本当にできることを実感することとは、大きな隔たりがある。
 私も、めったやたらと否決したわけではないが、議会内では、国の政策に連動して否決する機会の多い、ある公党の所属議員の次に否決した回数が多い議員であった。それだけ「蜜」を求めていたということだろうか。

反論する義務~obligation to dissent

 そうはいっても、実際に否決される確率は、現状の議会では低い。それは、とりもなおさず、議案を提案してくる執行部も、上程に向けて議案を練り上げており、議員からすれば、それほど議案に詳しくなく、あるいはこだわりがなければ、否決の余地がないように見えるからだ。ここで、「やはり執行部の皆さんは大したもんだなぁ」となってはいけない。一見、何も問題がなさそうに見えても、あえて「何か問題があるに違いない」という姿勢で議案審査に臨まなくてはいけない。それが、議員の義務であるからだ。
議員に求められているのは、チェック機関としての「反論する義務(obligation to dissent)」である。この言葉は、議会用語ではなく、ある著名な世界的規模の民間コンサルタント会社が大切にしている価値だそうである。二つの絵の間違いを探す場合も、八か所間違いがあるといわれれば、必死に間違いを八か所探そうとする。ところが、もし、この二つの絵に間違いがあったとしても、「間違いはない」といわれたら、必死に探すだろうか?
 同じことが、議員活動にもいえるのだ。最初から執行部が提案してくる議案を完全なものだと思うのか、きっと何か間違いがあるに違いないと考えるのか。その違いが、おのずと議案に対する取組みの違いとなって表れてくる。実際、私も新人のときに、単純な用語のミスを指摘したことがあった。別の議員からは、「そんなの、アラ探しではないか」という声も聞こえてきたが、当事者である職員は、非常に慌てていたのが印象的だった。役所にとって、一つの言葉のミスは、議員が考える以上に重大なことであると学んだのだった。同時に、嫌な議員だと嫌われ始めるきっかけにもなった。最初は、単純な用語のミスの指摘から始めればよい。そこから始め、勉強を進めていけば、条例上の法律的な瑕疵(かし)(間違い)や、違法・不当な状態を指摘できるようになってくるはずだ。

嫌われても舐(な)められるな

 「嫌われても舐められるな」。これも、あえてお伝えしたいポイントだ。同僚議員ともよく話していたのだが、議員は、本質的に、職員に好かれることは決してない。それは、人格の問題というより、法制度上の立付けとして、執行部と議会は対立するようにできているからである。適切な例かどうか分からないが、法廷における弁護士と検事との関係になぞらえるとよい。職員は、議員は何かと面倒くさい存在なので、よく「おべんちゃら」をいってくる。「いやぁ、議員さん、勉強されていますね」、「議員さんの指摘はいつも勉強になります」などだ。しかし、本質を突いた厳しい指摘をした場合は、そんな「おべんちゃら」をいう余裕はなくなり、本気になって反論・抵抗してくる。一番すさまじかったのが、予算の修正案で経験した抵抗だ。執行部が、「修正案に問題があるから、修正案の議決は瑕疵る議決だ」と言い始めたのだ。この議論の終結までには1週間かかった。最後は、全国市議会議長会まで巻き込んで議論を決着させた。もちろん議決に瑕疵などなかった。「おべんちゃら」をいわれているうちは、舐められていると思った方がよい。議員としての本来の機能を果たせば果たすほど、職員からは嫌われるはずなのだ。
 つまり、議員と職員との関係は三つしかない。①嫌われているけれど、舐められていない、②嫌われていないが、舐められている、③嫌われており、舐められている、の三つだけだ。嫌われておらず、舐められていない、という議員は、現実には存在しない。もちろん、これはあくまでも政策をめぐる対立場面でのことであり、いたずらに職員を個人攻撃することなどはあってはならないし、こうした場合は、パワーハラスメントとして指弾されるのでご注意を。
 さて、皆さんはいよいよ、市民の代表という立場に立ち、これから議員として活動されるわけだが、以上述べたことを実践しても次回の選挙で票が増えるわけではないことも、あえて付け加えておきたい。議員の1期生というのは、4年間がお試し期間のようなものなので、実際は、執行部側でも議会でも「見習い」の位置付けであるのが現実かと思う。執行部に舐められてもいいから、再選することが優先という方は、これまでの話は聞き飛ばしてもらってかまわない。しかし、もし、自分が議員として何らかの影響力を行政に対して及ぼしたいと考えるなら、1期目から全力で否決を目指して戦ってほしい。議員本来としての備えるべき実力が身につくことだろう。これから4年間の健闘を祈りたい。そして、無理にとはいわないが、否決すべき、あるいは修正すべき、と心の声が聞こえたなら、様々な事情があるとは思うが、行動に移してほしい。その心の声に従わないと、そのうち声が聞こえなくなり、それは住民の声が聞こえなくなることにもつながっていくことを肝に銘じていただきたい。

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