2019.02.25 小規模自治体
議決事件の限定と請負禁止の緩和 ──『町村議会のあり方に関する研究会報告書』について(その12)──
東京大学大学院法学政治学研究科/公共政策大学院教授(都市行政学・自治体行政学) 金井利之
はじめに
総務省に設置された「町村議会のあり方に関する研究会」の報告書(以下『報告書』という)の実体的な評釈を続けている。前回は、議員のなり手不足の解消のために、行政職員が議員に立候補しやすいようにする観点からの「Ⅲ3(2)公務員の立候補の支障を緩和する仕組み」を検討した。今回は「(3)議決事件の限定と請負禁止の緩和の仕組み」を取り上げることとしよう。なお、この項目をもって、『報告書』の本体の中身は終わる。
基本的視点
『報告書』によれば、第1に、自治体議会の議決事件は徐々に範囲が拡大し、重要な契約の締結や財産の取得など、国会が議決事項としていない事項についても議決対象となっている、とされる。そして、このような議決事件の拡大を踏まえ、議員としての活動の信用性を高め、契約締結に関する疑義をなくすことなどの観点から、議員の請負禁止が設けられている、という。つまり、議決事件が拡大すると請負禁止が必要になる、議決事件が縮小すると請負禁止が緩和できる、という関連性があるというわけである。
第2に、『報告書』によれば、多種多様な議決事項がある場合には、議員としての活動量が多くなり、また、相応の専門性も求められるため、一般住民は議員になりにくいことになる。より一般の有権者が議会に参画しやすくなるよう、個々の契約締結や財産処分などについて、議決事件から適用除外とすることが考えられるという。つまり、議決事件が多いと、素人である一般有権者(正確には被選挙権者)は、議会に参画することを躊躇(ちゅうちょ)するだろう、それゆえに、議員のなり手が乏しくなるだろう、ということである。
第3に、第2点から議決事件を減らすとなれば、第1点の前提をもとに、三段論法によって、議会が個々の契約等について議決を行わない場合には、請負禁止の要請は相対的に低くなるので、緩和できるとする。
第4に、『報告書』は、特段の理由は説明していないが、結論として、議決事件の限定と請負禁止の緩和は、多数参画型に必須とする。おそらく、多数参画型は、素人の一般有権者が、専門性を欠いた議員になることを想定しているので、議員に専門性を期待するような、多種多様な議決事項のある現行制度はなじまないということなのだろう。
議決事件の多寡
自治体において代表機能を果たすフォーラムである議会で、首長も交えて議員たちが議論して決定すべき案件が何であるかは、難しい問題ではある。ただ、いくつか指摘しておくべき事柄がある。
第1に、議決事件が国の法制によって限定列挙されていることは、それ以外の決定権限は全て首長に留保されることを意味する。このため、首長は実質的に幅広い決定権を行使することができ、結果的に、首長の議会に対する優位を生み出してきた。つまり、法制上義務付けられている議決事件に関しては、やむなく議会を通す必要はあるが、それ以外は、議会の前に出す必要がない。すなわち首長は、代表機能を果たすフォーラムを回避できるということである。これが、地域住民の代表民主主義にとって望ましいかは、議論がありえるところだろう。このように、そもそも法制で議会の権限を限定列挙していることそれ自体が問題をはらんでいるにもかかわらず、さらに、法制で議決事件を制限しようとするのは、いかがなものかとも考えられる。
第2に、ある意味それゆえ、議決事件追加条例という仕組みによって、議決事件を拡大することが個別自治体によって可能となっている。つまり、デフォルト値では限定列挙されているものの、議決事件を拡大するようにカスタマイズできるのである。ある意味で、分権・自治的な仕組みであろう。これは、上記のような議決権の限定列挙という、集権的かつ首長優位の法制を、多少は緩和できる余地をつくったものであり、一定の評価はできよう。
このような仕組みを前提に、新たに多数参画型に議決事件制限を法制で導入するということは、どういうことであろうか。仮に議決事件制限を導入しても、再び議決事件追加条例で増やせるのであれば、『報告書』の観点からは意味がないだろう。となれば、論理必然、『報告書』が制限を進めるような議決事件については、法制的に議決事件追加条例の制定が禁止されるであろう。国法による新たな縛りが生まれるわけである。
なお、議決事件追加条例の効力を過大評価することはできない。なぜならば、議決事件追加条例の制定には、首長の同意が通常は必要である。議員提案条例であれば再議権を行使しないということであるし、首長提案条例であれば、そもそも条例案をまとめて首長が提出する以上、自身が納得しない議案を出すはずがない。上記のとおり、議決事件でなかった決定事件は、潜在的には全て首長の決定権限に属するのであるから、首長から権限が議会に移動するわけであり、現実的には、首長の理解を得るのは常識的にも必要であろう。しかし、逆にいえば、首長は譲渡したくない権限の議会への譲渡には同意をしない。首長の再議を覆すには特別多数議決が必要であるが、必ずしも容易ではない。
第3に、自治体議会は国会が議決事件としていない事項についても、議決事件にしていることが、『報告書』では指摘されている。あたかも、国会と違うことがおかしいかのごとき論調ではあるが、なぜ国会並みの議決事件がよいのかは、説明されていない。また、自治体議会の議決事件ではないが、国会の議決事件である事項についても、特段の説明がない。単に違うというだけでは、国会も自治体議会並みに、重要な契約締結や財産の取得・処分については議決事件にすべきであるという結論も可能である。結局、人々の代表機能を有する公開のフォーラムたる議会において、何を議論すべきか、という問題を正面から考えるべきである。
除外できる議決事件とは
議決事件の限定列挙にせよ、議決事件追加条例にせよ、これは実体としての議決事件の範囲が判断された後に、手続的・権限的にどう公式的に決定するのかという問題にすぎない。より重要なことは、実体判断として、自治体議会は公開フォーラムで何を決定すべきか、逆にいえば、公開でもなければ、フォーラムでもなく、首長以下の首長の指揮監督を受け首長に忖度(そんたく)する行政職員からなる閉鎖的官僚制によって何を決定すべきか、という問題である。
『報告書』は、「②考えられる制度の詳細 (a)除外できる議決事件の範囲について」でこれを論じている。それによれば、自治体議会は、憲法で規定された議事機関として、議決対象からの除外を認めるべきでない事項がある、という。『報告書』の趣旨が、除外したら憲法違反になるという意味なのか、憲法の趣旨を生かした立法政策上の実体判断として妥当ではないという意味なのか、判然とはしない。前者であれば、憲法の制約による国会の権限外の事項になるので、実体判断というより手続判断になってしまう。後者ならば、実体判断である。
『報告書』によると、「各市町村における法規である条例の制定」や「各市町村の毎年の行財政運営を根拠づける予算」及び「これを総括する決算」などは、議決が必須という。この限りでは、『報告書』は誠に妥当なことを述べている。
むしろ深刻なのは、『報告書』の主題からは脱線するが、現行制度すらこうした適切な実体判断から乖離(かいり)した制度であることである。第1に、首長が条例を専決処分できることである。第2に、首長は、必ずしも条例の委任なしに、首長規則を制定できることである。つまり、条例と規則の関係は、法律の委任があって初めて政省令が制定できる関係とは同じではない。第3に、決算認定は、実質的には何らの法的効果をもたらすものと制度化されていない。要するに、責任解除という事項が決議事件からは法制的に排除され、曖昧な決算認定議決として制度化されている。
『報告書』は、議決事件を制限できる案件を際立たせようとして、議決事件を制限できない事項について言及したのであろうが、すでに議決事件が大幅に限定されていることを想起させるような記述となっている。まずもって、こうしたことを是正した上で、次の段階で、議決事件の除外を考えるべきかもしれない。
契約締結と財産処分
重要ではあるが脱線となる事項はさておき、『報告書』の本論に戻る。『報告書』によれば、「契約締結や財産処分などについては、条例・予算・決算などの議決を通じて、総体として議会が一定の団体意思決定機能や監視機能を発揮できることから、個々の契約等を逐一議決対象としないことが考えられる」という。
しかし、予算・決算や条例などの議決のみによって、本当に団体の意思決定や監視をすることができるのか、疑問は小さくない。もちろん予算が措置されていなければ、歳出や債務負担行為を伴う個別契約は、実質的に締結できなくなるのであるから、予算で総体として契約締結に係る歳出権限を授権するか否かを決定できるようにも見える。しかし、自治体の歳出予算は個別事業について個々に歳出権限を付与しているのではなく、広めの政策分野・事業分野ごとに「○○事業費」というような決定であって、予算議決があるからといって、個別事業に関する是非を決めるわけではない。
そもそも、議会予算は大枠としての比重を決めるだけであって、実体として個々の事業の採否を決めるのは首長側執行部局である。確かに、全ての契約を議会議決とすることは合理的ではないが、個々の契約の是非判断が団体として重要なこともありうる。このような重要な個別契約締結を選別して、議会が「批准」的に議決することは、団体意思決定としても監視としても、むしろ重要であろう。
しかも、自治体が直営で事業を実施するのではなく、民間事業者に委託・請負やPFI、さらにはコンセッションをすることが時代の趨勢(すうせい)である。行政直営ではなく、民間事業者への発注や民間との協力が重要になればなるほど、個別契約への授権(イギリス自治体ではエナブリング(enabling)という)こそが、議会の重要任務になる。行政直営であれば、行政のカネの使い道である予算の詳細な決定が重要である。民間による間接経営になれば、民間事業者が住民サービスに直結するカネの使い道を決めるのであるから、民間事業者との契約の最初の時点が決定的に重要になる。とするのであれば、今日以上に、契約締結に際して、公開フォーラムでの議論と決定が求められるであろう。契約締結は、かつては政策判断を踏まえた予算に基づく機械的な行政業務であったかもしれないが、今日では、契約締結こそが政策判断になっている。民間委託・PFIをめぐるゴタゴタを見る限り、個別契約こそが今後の自治体運営の焦点である。
財産処分も契約締結と同様である。全ての財産処分が、議会議決を要するものとはいえないが、特定の財産処分は、政策判断を要する極めて重要な事項でありえる。
重要な事項とは?
このように、契約締結・財産処分の全てが、首長部局に任せてもよいような、どうでもよい事項ではない。もっとも、全てが議決事件に関わらしめるほどのものでもない。あまりに微細な契約・財産処分まで議案になっていては、行政側にも過大な業務を増やすだけであるし、議会の貴重な時間を形式的に浪費することになって、団体意思決定にも監視にも逆効果である。「木を隠すなら森の中」という格言もあるように、重要な契約・財産処分を見えにくくして議会や住民の目をかいくぐるには、膨大な契約・財産処分のリストを提示して、議論をする気力と体力を奪うのもよい。こうなれば、議会は結果的にはリスト掲載の案件を全て一括承認してしまいがちである。したがって、重要な契約締結・財産処分に絞らなければならない。
実際、現行法制ではそのようになっており、『報告書』「参考資料29」には、「地方議会の議決を要する契約等」が示されている。問題は、こうした議決を要する事項を法制的・形式的・手続的にえぐり出すことが、しばしば形骸化して、実体として議決を要するような重要な事項とうまく重なるとは限らないことである。実際、議会議決を疎ましく思う行政部局側からすれば、こうした形式的な必要的議決事件をかいくぐるように、できるだけその条件に引っかからないようにしたいところである。
そのような戦術的対応以上に重要なことは、実質的に重要な事項を決定すること自体、政策判断を要するということである。その意味で、個別の契約締結・財産処分案件について、何を議決事件にすべきかそれ自体を議会が決定するしかない。もっとも、これでは、〈全ての案件について議決事件にするかどうかを議決する〉のであるから、結局、全ての契約締結・財産処分が議決事件になったのと同じであって、仕分けの意味をなさない。さらに、首長と議会与党多数派が、本当に重要な事項を「重要ではない」と言い張れば、実質的に重要な事項も、あるいは実質的に重要であるがゆえに、公開のフォーラムであまり突かれたくない事項に限って、議会議決をかいくぐることもできる。
そのため、現行法制のように、結局、一定の類型によって機械的に議決事件とそうでないものとを、議会審議にかけないで、事前に縒(よ)り分けておくしかないのである。現行の地方自治法96条1項5号「工事・製造の請負契約のうち、政令で定める基準額以上で条例で定める額以上の契約の締結」とし、同8号「政令で定める面積以上の不動産・動産、不動産信託の受益権の買入れ・売払いの契約のうち、政令で定める基準額以上で条例で定める額以上の契約の締結」として、政令に基準が委任されている。具体的数値は、金額と面積である。定性的に「重要」とは定められないのが、法制上の悩みであろう。定性基準では、行政部局がいくらでもかいくぐることができる。しかし、定量(数値)基準であっても、分割すればいくらでもかいくぐることができる。
それ以上に問題なのは、定性的な文言表現による類型である「工事・製造の請負」、「不動産・動産、不動産信託の受益権の買入れ・売払いの契約」というような限定である。民間委託、PFI、指定管理、コンセッション、リースなど、民間事業者による新しい公共サービスの形態が、1990年代以降、拡大しているにもかかわらず、法制規定は、昭和・高度経済成長・土建国家的に、公共工事に関わる請負工事や不動産処分による工場進出というイメージで、契約や財産処分を捉えているのである。
おわりに
『報告書』は、何とか結論としての議決事件の限定に誘導しようと、いろいろと論じている。しかし、その記述を虚心坦懐に読む限り、むしろ必要なのは個別の契約締結・財産処分を議決事件から一律に除外することではなく、時代に合わせて、議決を必要とする事項の範囲を見直すことのように思われる。
現行制度は、必要な事項について議決事件になっておらず、必要ではない事項まで機械的に議決事件になっているのかもしれない。その限りで、現行議決事件の中には、議決事件から外すべき事項もあろう。また、除外した方が、議会のエネルギーをより重要な事項に集中させることができ、団体意思決定と監視を強化することにも寄与しよう。しかし、同時に、現行制度では重要な事項が議決事件から排除されているかもしれない。
例えば、指定管理に関しては、指定管理者の選定には議会の議決が必要であるし、公の施設の設置改廃や指定管理制度については条例事項であるから議決事件である。しかし、指定管理の中身が決まるのは、指定管理者として議会が承認して行政が指定処分した事業者団体と行政側が交渉して締結した「協定」そのものである。誰と交渉するのかを授権する議決と交渉した具体的な妥結結果=「協定」に対する「批准」的な議決と、どちらもそれなりに重要であろう。【つづく】