2018.07.10 カテゴリー
第1回 議会改革は「必然」と「偶然」の出会いから始まった
北海道自治体学会会員/同学会議会技術研究会共同代表/札幌市職員 渡辺三省
はじめに
札幌市役所に採用され三十数年、そのうち10年を議会事務局に勤務していました。また、この間の2年間、全国市議会議長会に派遣され、地方分権推進法の制定経過を見てきました。議会事務局から異動後も、議会研究を続け、現在、北海道芽室町職員の西科純さんとともに、北海道自治体学会議会技術研究会(議員を中心に100人以上で構成)の共同代表に就任しています。
2004年には、前身の北海道自治体学会議会研究会(自治体職員、議員、大学教授をはじめ一般市民で構成)において「議会基本条例試案」を公表し、結果的に北海道栗山町議会基本条例制定へとつながりました。現研究会では、「議会・議員の政策活動」、「事業別政策調書」、「住民、議員、首長、職員の4者間の対話」について研究を進め、市民の視点で議会改革に関わっています。
この12回連載を通して、これまでと、これからの議会改革の留意すべき点について、読者の皆さんに分かりやすくお伝えしたいと思います。
1990年代~2000年代初めの議会改革
札幌市議会を例にとって恐縮ですが、議会事務局在籍中の1993年第1回定例会において、議員定数を71人から69人に減数しました。当時の定数条例改正案の提案説明の中で、「近時の本市行財政を取り巻く環境は、きわめて厳しい状況にあります。(中略)これはひとり執行機関に求められているものではなく、議会もまた同様であると言わなければなりません」というくだりがあります。議員定数改正が行財政改革の文脈で語られています。これは今も広く行われている議論ですが、その要諦は、議会活動が住民福祉の向上につながるかどうかであり、そのための議員定数改正でなければなりません。したがって、本来、議員定数「減」の議論だけでなく、「増」の議論もあり得るわけです。
議会の情報公開制度については、1990年代、条例上の実施機関化が進み、現在は、全国市議会議長会等においても情報公開条例が調査対象になっていないことから、全自治体議会が制度を導入していると見ていいでしょう。
また、全国市議会議長会の2003年の市議会の活動に関する実体調査結果によると、全国702市のうち、合併のなかった686市対象の調査の中で、常任委員会を見てみると、原則公開が244市、許可した事例ありが222市となっており、その後、原則公開が増えてきています。
こう見ると、今なお十分とはいえないにしても、1990 年代~2000年代初めにかけて、議会運営に関わる改革は進んできたといえます。地方自治法(以下「自治法」という)上の制度改革も、議案提出要件緩和、議員定数の法定定数廃止・条例制定数制度の導入(1999年)、常任委員会数の制限廃止(2000年)、定例会招集回数の自由化(2004年)など、議会運営改革が中心となっています(これ以降も同様の改革が続く)。
しかしながら、これら一連の改革も、自治の主役であるはずの住民が脇に追いやられている感が否めません。
議会基本条例誕生が議会改革の意味を深めた
2000年の分権改革を経て、首長側には、住民主体のまちづくりへの機運が一層高まってきた一方で、自治体議会には大きな変化が見受けられませんでした。そこで、2003年3月に現研究会の前身の北海道自治体学会議会研究会では、住民自治に即した合議制機関としての役割十分でない、その根本原因はどこにあるかについて研究をスタートさせました。同研究会では、
① 地方分権時代の自治体議会運営は、条例に基づき行うべきものであり、自治法に詳細な規定がなされていない以上、標準会議規則の呪縛にとらわれることなく、「議会基本条例」を最上位において運営すべきである
② 自治法上の議会は、独任制機関の長とともに、二元代表制を担う合議制機関であり、両者は住民から直接選ばれるという意味で与野党意識を持つべきではない
を基本方針とし、法改正に頼るまでもなく、各議会の工夫による部分(情報公開、市民参加など)を中心に整理して議会基本条例試案を作成したのです。これは、標準会議規則が議会の活力を低下させており、本来、自前の議会運営は現状でもできるという認識を前提としたものでした。
一方、栗山町では、2005年3月、道内で初めて議会報告会を開催しましたが、議会基本条例制定のきっかけは、議会報告会をぜひ継続実施し、条例に明記すべきという町民の意見に端を発しています。栗山町の取組みは、2002年3月からの数々の改革の積み重ね(条例検討時には、8割程度が改革済み)によるものです。
このように、議会研究会の議会基本条例試案公表(2004年3月)と、栗山町の議会基本条例の検討着手(2005年3月)は、それぞれの「必然性」があってのことですが、この2つの動きが「偶然の出会い」によって交差し、2006年5月の栗山町議会基本条例の誕生につながったのです。この条例は、まさに、それまでの議会運営改革の枠を超えた、「住民、議会(議員)、首長(職員)」の3者の関係性を明記した、議会改革の「第1ステージ」の幕開けとなったものだったと考えています。
NPO法人公共政策研究所では、議会基本条例と自治基本条例の施行自治体数の年度別推移を調査しています(2017年全国1,765自治体の状況)。自治基本条例第1 号(ニセコ町。2001年度)の施行に遅れること5年で議会基本条例第1号(栗山町。2006年度)の施行となりましたが、2011年度には累計の施行自治体数が逆転(議会基本条例264、自治基本条例245)し、2017年11 月6日の時点で、自治基本条例施行自治体数の2倍を上回っています(議会基本条例797、自治基本条例368)。
議会基本条例の誕生は、従来からの議会運営改革の要素を含んでいますが、首長との関係(二元代表制)に加え、住民との関係をも含んだ改革の領域に踏み出しています。
二元代表制~議会改革はすでに第2ステージに向かっているのである
遡ると、今から40年前、当時東京大学教授であった西尾勝さんが、『都民参加の都政システム』調査研究報告(1977年)を行っており、この中で「二元的代表民主制」の原理についてもまとめています。その中では、新しい市民参加論については、特に議会筋から、市民参加は議会軽視(又は無視)であるとする「議会軽視」論が提起される、との記述があり、「議会軽視」論を、役所が議会を迂う回かいして住民と直結するという捉え方をしている点で「議会迂回」説と呼んでいます。そして西尾さんは、「議会迂回」説にほぼ共通する誤ご謬びゅうを挙げながら、二元的代表民主制下の議会の独自機能とは何か、参加民主主義時代の地方議会の活性化はいかにしたら可能かが論じられるべきであるとしています。まさに、現在に通じる内容です。
その後30年近くの時を経て、栗山町議会基本条例が誕生(2006年)するのですが、興味深いことに、栗山町で開催された「栗山町議会基本条例制定10周年記念事業」(2016年8月26日)で、条例制定時の議長であった橋場利勝さんが、「私の望む議会」と題する講演の中で、議員就任の1995年当時、「二元代表制」という言葉は聞いたこともなかったという話をされていました。その後、栗山町議会基本条例は、格調高い前文で「二元代表制」という言葉を使わず、その意図を体現しています。条例制定に深く関わった北海道大学名誉教授で、議会技術研究会顧問の神原勝さんは、議会基本条例を、首長も含む「二元代表制運営条例」と考えるべきとしています。
全国約800の自治体では、議会基本条例を制定済みですが、その歩みは多様です。条例という「家」は完成したが、そこに住む人々(住民)にとって、それぞれの「家」(条例)が、より一層住み(使い)やすいものとなるかは、それぞれの自治体議会・議員、議会事務局の力量が今まで以上に問われる時期に来ています。すなわち、議会改革は、「第2ステージ」に向かっているという見立てです。
次回以降、議会事務局職員にとっての議会改革について、読者の皆さんの一助となるよう、順に掲載します。
(『自治体法務NAVI』「とっても身近な自治体法務シリーズ」2018.5.25号より転載)