2018.06.25 女性議員
第6回 女性議員の比率No.1と女性議員による議会改革No.1の地方議会〜葉山町と取手市〜
男性独占の議場の扉が破られ、女性が続々と参入
葉山町議会に初めて女性議員が誕生したのは、1985年1月の補欠選挙においてだった。それまでは全ての議席(26)を男性が独占し、立候補する女性はいたものの当選を果たせずにいた。葉山町でその壁を初めてぶち破ったのは、生活クラブ生協の組合員らが結成した地域政党「神奈川ネットワーク運動」(以下「神奈川ネット」という)の女性候補だった。
1985年に初めて誕生した葉山町議会の女性議員は2年後の町議選で3人に増加し、さらに1991年の町議選で4人に増えた。神奈川ネット以外の住民団体からも女性議員が送り込まれるようになったからだ。
「昔は地域の名士や有力者が周囲から推されて町議になるというケースがほとんどでした。その後、宅地開発が進んで新住民がやってくるようになりました。彼らの多くはホワイトカラーで、そうした人たちの声を代弁する議員が(議会の中に)いなかった。そうした中で、地域で生活する女性たちが疑問を感じたり、課題にぶつかるようになって生協活動や住民運動などに取り組むようになったのです。それで女性たちが(議会選挙に)出るようになりました」
こう語るのは、葉山町の畑中由喜子・町議。1991年に初当選し、現在、7期目のベテラン女性議員だ。
葉山町生まれの葉山町育ちの畑中さんは、いわゆる「別荘者」の1人。先祖代々から葉山町に住む地元民ではなく、祖父が葉山町内に別荘を建て、戦時中に家族で疎開。東京の自宅が空襲で焼かれたため、そのまま葉山に住み着いた親の元で生まれたという。葉山では「地の者」と「新住民」の中間に当たる。そんな畑中さんも生協活動がきっかけで神奈川ネットのメンバーとなり、葉山町議になった。2期目の途中から組織を離脱し、現在は無所属で議員活動を続けている。「1期目は右も左も分からず、町のこと、議会のことなどを必死になって勉強しました。過去の議事録を熟読し、一般質問も行いました。生意気だと思われたのか、先輩議員からはいろいろ言われました」と、振り返った。
女性議員が少数派だった昔の葉山町議会では、議場で全く発言しない男性議員も珍しくなかった。そうした男性議員は、専ら議場以外の場で動き回っていたという。自分の地元や支持団体などと行政をつなぐパイプ役に忙しかったのである。また、現在は議員同士の宴会はほとんどないが、昔は定例議会の閉会後などに町長同席の宴会を開くのが恒例となっていた。もちろん、公費での酒宴である。ときには、視察先で芸者さん付きの宴会がセットされることもあったという。今ではあり得ない話である。
女性議員が多い葉山町議会には謎も多い
「葉山の場合、女性が(町議選に)出やすい環境にあると思います。逆にいうと男性が出にくい環境かとも思います。勤め人が多く、以前はたくさんいた商店主や農業、漁業などに従事する人たちが激減しています。それに昔は共働きの家庭が少なくて、女性が議会に進出しやすかったのです」
こう分析するのは、1979年から葉山町議を務める近藤昇一さん。10期目の最長老で、女性議員ゼロの葉山町議会も経験している唯一の現職議員である。
葉山町の過去10回(1979年から2015年の間)の町議会議員選挙を分析してみると、女性の多さ以外にも特異点がいくつか浮かび上がってくる。1つは、議員の出入りが目立つ点だ。町議を辞職して首長や国会議員への転身を目指すケースが多く、補欠選挙が過去10回の本選挙の間に何と6回も実施されている。チャレンジに失敗して町議に戻る人も珍しくない。また、新しいものを好む土地柄なのか、現職議員の落選が目立つ。例えば、直近の2015年の町議選では、落選した5人全員が現職だった。さらに全く地縁・血縁のない人が当選するなど、多様な人が議員に選ばれる地域であった。もちろん、女性議員も安泰ではなく、性別に関係なくメンバーチェンジが繰り返されるやや特異な議会といえた。見方を変えれば、新規参入しやすい風通しのよさを持っているのである。
もっとも、こんな意地悪な見方もできる。葉山町議員選挙では、600票をとればまず当選できる。一方、葉山町議の年俸は656万円で、全国の町村議会トップ。選挙で600票とれば、当選は間違いないので、チャレンジ意欲を刺激されるのかもしれない。
ところで、前出の近藤議員(当選10回)も現職での落選や補選での復活を経験した1人であった。共産党の議員である近藤さんは、女性だからということよりも議員個々の資質や考え方が大事だ、女性議員が増えたから議会が変わったとはいいきれないと繰り返しながら、かつての葉山町議会との違いを率直に語った。