2018.05.25 住民参加
第5回 地域の担い手を育み、支え、増やす若者議会〜愛知県新城市〜
【インタビュー1】
穂積亮次・新城市長に聞く
全国初の条例に基づく「若者議会」の生みの親、新城市の穂積亮次市長に話を伺った。1952年に東京で生まれた穂積さんは、その後、父祖の地である愛知県鳳来町(現新城市)に移り、山林業に従事する。その傍ら地域でボランティア活動を続け、2004年に鳳来町長となった。鳳来町は2005年に隣接する新城市と作手村と新設合併し、新・新城市となった。その初代市長を選ぶ選挙で穂積さんが当選を果たし、新城市長に就任した。現在4期目である。
──どういう経緯で新城市に若者議会が生まれたのでしょうか。
日本の若者は全般的に大変厳しい状況に置かれています。今の日本は若者に温かい社会になっていません。私はそれを変えるには若者自らが声を上げ、まちづくりに参加することが不可欠だと思っていまして、成人式でも“君たちも声を上げてほしい”と、直接、訴えてきましたが、なかなかうまくいきません。きっかけがなかったのです。
──そうした状況を変える何かがあったのですか。
ニューキャッスルアライアンス(新城市が1998年に世界中の同名の都市に呼びかけて結成した国際交流の会で、2年に1度、各都市持ち回りで国際会議を開催)です。2012年にイギリスのニューキャッスルで開かれた会議に新城市から若者4人が参加しました。その国際会議に参加した若者がとても悔しい思いをして新城市に帰ってきました。“自分たちは自分たちが住んでいる地域のことをほとんど知らない、地域のことを何もやっていない、自分たちはやばい”と痛感したようです。それで彼らはすぐに「新城ユースの会」を立ち上げ、活動を始めたのです。
──彼らはどんな取組みを始めたのですか。
新城市は自治基本条例で年に1回以上、市民まちづくり集会を開催することを決めていまして、その第1回目の集会が平成25年(2013年)8月に開かれることになりました。新庁舎の建設問題でもめていたときで、集会は2部構成で開くことになりました。1部は庁舎問題を取り上げ、さて2部はどうするかということになりました。それで新城ユースの会に任せてみようとなったのです。
──それでどうなりましたか。
市民まちづくり集会の1部は怒号の飛び交う、ギスギスしたものになりましたが、若者に運営を任せた2部(テーマは“新城の未来を語る”)は会場の雰囲気がガラリと変わり、とても前向きなものとなりました。参加者は1部と同じでしたが、ITを活用して会場の参加者とやりとりするなど、いい運営でした。中高年の参加者が大勢いましたが、刺激になったと思います。私も若者たちの大きなパワーを感じ、まちづくり全体の局面を転換できるのではないかと思いました。それで、その年(2013年)の11月の市長選のマニフェストに若者政策を大きく盛り込みました。
──3期目の市長選挙ですね。新庁舎建設問題が最大の争点となり、911票差で辛勝しました。若者議会はこの市長選の後になりますね。
そうです。新城市の自治基本条例はその実効性を確保するため、市民自治会議の設置を義務付けています。この市民自治会議の中に若者政策を議論するワーキンググループがつくられ、そこから若者議会をやりたいという声が上がりました。市民自治会議からもやるべきとの答申が出されまして、条例化へつながりました。市長がいつまでもつかどうかという状況でして、市長が交代したらどうなるか分からない。心配だから条例化して制度にするべきだとなったようです。市議会では“若者議会という名称はおかしい”とか“予算までつけるのはどうか”といった声も出ましたが、(反対の声は)大きなものとはなりませんでした。平成26年(2014年)の12月議会で「若者条例」と「若者議会条例」が制定され、平成27年(2015年)4月から施行となりました。
──市長は海外の若者議会の事情について詳しかったのですか。
イギリスやドイツに行っていたので、それなりに理解していました。市長選のマニフェストをつくる際にスウェーデンのケースなどいろいろな資料も読んでいました。しかし、新城市で一気に若者議会までいくとは思ってもいませんでした。
──若者議会の制度設計の際、留意した点は何でしょうか。
2点ありました。(若者議会が使途を決められる)予算をしっかりつけること。1,000万円です。それから担当セクションを設置し、できるだけ若者の自主的な運営にすることです。(日本国内に)お手本はありませんので、自分たちで考えました。どうやって進めるか、誰に議員になってもらうのか、それこそ暗中模索です。一体どうなることかと、担当職員は苦労の連続でした。
──仕組みづくりの中でどんなことが議論となりましたか。
例えば、年齢の上限です。何歳までを若者議会の対象者にするかで、議論となりました。結局、被選挙権の上限である30歳に満たない人までを対象とすることになりました。
──2015年4月に若者議会がスタートし、2期生は25人のうち、4割ほどが社会人でした。3期は高校生の比率が大きくなり、社会人はゼロとなりました。
高校生の比重が大きくなったのは、“若者議会に参加してよかった”という口コミが広がったからです。とてもよいことではありますが、第4期では社会人にも参加していただこうと、市内企業に協力を要請しました。
──若者議会の提案や取組みの中で市長が注目しているものはありますか。
若者防災事業や図書館リノベーション事業などすばらしい提案や取組みがたくさんありますが、私が特に注目しているのは、教育ブランディング事業です。主権者教育やアクティブラーニングを強化したカリキュラムを義務教育に導入することを目指すもので、若者議会からこういう提案が出てくるとは思ってもいませんでした。昨年、市内の中学校でワークショップを開催し、とても好評でした。4期生も継続して取り組むことになっています。私はかねがね教育委員会に高校生を参加させたいと考えていました。制度上、それはできませんが、教育委員会の実質的な議論に高校生をコミットさせたいと考えています。生徒本位の教育によりつながると思うからです。
──若者議会が全国の自治体の関心を集めています。
視察はたくさん来ています。若者議会が全国に広がっているのは間違いないし、広げていきたいと思っています。本気になってやろうという若者が1人でも2人でも出てくれば、形になります。自治体側にそういう熱意を本気になって形にしようという政策意思があれば、すくい上げる仕組みはできます。若者議会は若者だけでなく、職員側も成長します。ある3期生が若者議会の最後の会合でこんなことを言っていました。
「市民に応援されている若者議会から、市民に必要とされる若者議会にしたい」
私はこの言葉を聞いてとても感動しました。