2016.03.25 仕事術
第13回 視察後は「視察報告書」としてまとめる
さらに電子データとして保管しよう
数多く視察を経験してくると、視察報告書だけで机(部屋)のスペースを占領することになる。筆者の場合は、1年間保存して、その間に使用しなかった資料は全て捨てている。これは視察報告書に限らず、審議会等で配付される資料も全て捨てている。万が一、必要になったら、視察先や審議会の事務局に問い合わせている。その意味で「どこにどんな情報がある」ということを知っておけばよいと思う。
しかし、どうしても残しておきたい資料もある。その場合紙の資料であると、物理的なスペースが必要であり、いつかは限界がくる。そこで可能な限りスキャンしPDF(電子データ)にして保存している。PDFにした方が、必要となったときに、キーワードで検索をかけるとすぐに見つかるため便利である。紙で保有しておくと、必要なときに見つけるのに意外と時間がかかり、ストレスがかかってしまう(見つけるのに時間がかかるのは、筆者だけかもしれないが)。
今日は、インターネットの普及、行政の電子化の進展などから情報量が爆発的に増加している。その全てを紙として保管するのは賢くない。できるだけ電子データ化して保存しておく方がいいだろう。少しデータが古いが、総務省が発表した「平成18年度情報流通センサス報告書」には、1996年から2006年の10年間で、人が接することのできる情報量(選択可能情報量)は530倍に増加したという結果が示されている。現在でも、情報量は日ごとに増加している。これらの情報量を全て紙(現物)として保管することは不可能である。できるだけ電子データ化して保有していく方が賢明である。
情報量が増加しても、人の情報処理力は劇的に高まるとは思えない。その意味では、既存の情報量を適切に取捨選択していく能力が求められる。何かしらルールを決めて「必要がない」と少しでも判断した情報は捨てる勇気が求められる(筆者のルールは「1年間使用しなかった情報は捨てる」である)。そうしないと膨大な情報の中で漂流し、効果的な政策立案ができなくなってしまう。
次回は視察概要に書き込む視点や、視察から得られた知見を活用する手法を紹介する。
「百聞は一見にしかず」には実は続きがある
格言に「百聞は一見にしかず」がある。この意味は「百回聞くよりも、たった一度でも自分の目で見た方が確かである」ことを意味している。この格言は、ある意味、視察の意義を示しているともいえる。議員は視察したり、あるいは率先して現場に行く必要があるだろう。その方が政策づくりにおいては確実である。
実は、この格言には続きがあるという。それは「百見は一考にしかず」である。その意味は「百回見るよりも、たった一度でも自分の頭で考えた方が確かだ」になる。視察を経験して「行ったこと」に満足するのではない。その視察から得られた知見や現場を把握した体験により、改めて「自分の頭で考える」ことの大切さを訴えている。
さらに、まだ続きがあるという。それは「百考は一行にしかず」である。この意味は「百回考えるよりも、たった一度でも自分が行動した方が確かだ」となる。ただし、議会(議員)の場合は執行権がない。議会(議員)が政策を実施することはできない。その意味で、執行機関に所属する職員をうまく動かしていくことが求められる。
そして、この格言は「百行は一果にしかず」と続いていくらしい。これは「どんなに行動しても、ひとつでも成果を残さなければ意味がない」ことを伝えている。
これらの格言から何をいいたかったかというと、それは明確な成果を意図しながら、政策づくりに取り組まなくてはいけないということである。明確な成果とは、政策を実施したことによる具体的な未来予想図である。一果を意識してこそ、百行、百考、百見、百聞にも意味が生まれてくる。一果を考えるには、具体的な未来をイメージしなくてはいけないだろう。そして一果をしっかりと意識するところに、視察も生きてくると考える。
●視察のポイント
(1)視察後はその成果を視察報告書としてまとめる。
(2)視察報告書は、①視察概要、②資料、の2部構成とする。
(3)視察で得られた成果は、電子データとしてまとめておく。