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2015.04.27 選挙

議会選挙の低競争率

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低競争率のデメリットを解消できるか

 いろいろな意味で問題のある低競争率であるが、実は、競争率を高めるのは簡単なことである。建前的にいえば、問題だと思う人が立候補すればよいのである。そもそも、競争率が低いところへの参入であるから、宝くじや馬券を買うよりは、あるいは、カジノに賭けるよりは、よほど勝算はある(3)。特に、失うものが少ないワーキングプアなどにとっては、議員職への挑戦は、かなり有望かもしれない。
 しかし、現実には、多くの堅実な有権者は、選挙に立候補して失うものがあまりに多い。選挙活動の金銭と労力と精神の負担は大きい。選挙を戦うということは、家族や知人に協力を得ることになるから、大きな精神的・物的・義理人情的な負債を負うことになる。また、サラリーマンの場合には、会社や役所を辞めることになることが普通であるから、生活困窮者になりかねない(4)。自営業者・小企業経営者はサラリーマンに比べれば、比較的に立候補しやすいが、それでも、政治に身を投じるということで「色」がついてしまう。ワーキングプアは日々の寝食が大変で、選挙運動などという「遊び」をしている暇はない。また、年金生活になった定年後の元気老人や「専業」主婦は、立候補に伴う損失はあまりない。しかし、そのような政治家「稼業」を想定してこなかった家族の理解を得るのは非常に難しい(5)
 ただ、それ以上に重要なことは、競争率を高めることによるメリットは、有権者全員で享受できるが、競争率を高めるために個々人が努力すると、負担はその立候補した個々人にのみ帰着することにある。いわゆる、フリーライダーが発生しやすい構造にある。つまり、誰か他人が立候補してくれるから、有権者には選択の機会が与えられ、メリットを享受することができる。それは、自分ではなく、誰か他人に期待することである。皆が互いに他人に「誰か立候補しないかなぁ」と依存し合うと、結局、誰も立候補しない。現実には、そこまで極端ではなくとも、候補者の数は過少にしか登場しない。

低競争率のデメリットをメリットへ

 こうしてみると、低競争率は不可避である。より正確にいえば、有権者全体が公共的に適正水準と期待するほどの候補者数は、個々人の自由な意思に委ねられている限り、現れないということである。むしろ、低競争率を厳粛に受け止めて、それをメリットに逆転させるしかない。
 第1に、政治家の質は低いということを、住民として了解することである。政治家が能力的にも人格的にも、尊敬に値しないということは、民主主義にとっては重要である。常に、有権者は有為の人材ではない政治家を「下」に見ることにより、能力の劣る政治家の決定に唯々諾々と従うということは正統性を持たなくなる。したがって、そのような首長・議会に政策決定を大幅に委ねることはできないし、政治家たちの行動は、日々監視しなければならないということである。
 第2に、当選した政治家は、その潜在能力を充分には発揮していないということである。だから、眼前に繰り広げられる政治家たちの醜態は、あくまで、その潜在能力を充分に引き出されていなかった、未熟な存在であることを意味する。そこで、問題のある政治家を批判・排除するのではなく、むしろ、当選後の政治家を、有権者住民は能力開発するしかない。
 第3に、選挙を通じては真摯な政策論議は行われていない、ということを確認することである。したがって、むしろ、当選後の議会活動において、住民と政治家が政策論議を真摯に行うことが必要になるということである。住民から「信託」を受けた政治家たちが「代表」として決定してよい、という代表民主主義の基盤的な条件は、現代日本の自治体には充分には存在しないのである。熟議を尽くすことが必要なのである。
 第4に、政治家たちは、そもそも民意を反映した集団ではない。したがって、上記のとおり、住民代表として首長・政治家を決定してはいけないのである。首長・議員は代表ではないから、二元代表制ではなく、零元代表制である。「文句があるなら選挙に出ろ」という政治家たちの居直りは、低競争率の実態と構造を前提にすれば、何らの根拠を持たないのである。たまたま立候補して当選した政治家は、一般住民を代表していると思ってはいけない。

おわりに

 このように見てくると、低競争率自体にも、それほどの問題があるわけではない。もちろん、競争率が高まることが、悪いというわけでもない。要は、低競争率による民意を反映しない「デモシカ政治家」の集団であるという事実を厳粛に受け止め、それに対処していくことが重要である。民意を反映しない「デモシカ政治家」が、自分たちが住民から信託を受けたと錯覚して、政策決定を独占しようとするから、問題が生じているのである。


(1) 芸能人・アイドル・お笑い芸人・スポーツ選手などのオーディション(競技会)のようなものである。芸能人・アイドル・お笑い芸人のような激務(しかも、一部の「成功者」を除きしばしば低賃金)に何故魅力があるのか筆者の理解を越えるが、ともかく人気が高いことは間違いない。
(2) ただし、低競争率以外にもいろいろな要因はある。名目競争率が高くても、実質の無風選挙では意味がない。あるいは、「風」が吹くと、候補者の資質は問われず、特定政党・グループであるというだけで当選してしまうので、「チルドレン」という低質の政治家を量産する。わずか10日と選挙期間が短いことも(4月3日告示12日投開票)、政治家の能力向上の機会を下げている。
(3) 政治家がカジノに嫌悪感を持たないのは、日頃、選挙という「博奕(ばくえき)」をしているからかもしれない。特に、有力議員は、常に勝つ「博奕」である「胴元」の役割をしているからである。これに対して、いつも「博奕」ですってしまうような、無力系・少数党系・市民派系議員が、比較的に好意的でないのは、実感からいっても当たり前かもしれない。
(4) 公務員の場合には辞職が必須であるが、民間企業の場合には、企業の就業規則や働き方の方針次第である。とはいえ、通常の民間企業は、在職のまま立候補を許し、落選しても職を継続する、ということは少ない。さらに、仮に当選したら辞職するという仕組みでも、大きくリスクを減らすことはできるが、4年後の失職の可能性を考えると、一応定年までの職が見込めるサラリーマンの職を、1回の当選でなげうつリスクは小さくない。
(5) ただ、こうした立候補に伴うリスクの差異から、前期高齢者男性や自営業者の議員が多いのが実態である。専業主婦は、近年そのような層が減少している上に、「女は家庭」の価値観が広くあるため、女性議員の比率自体が低く、「専業」主婦議員は多くはない。そもそも、「女は家庭」の価値観を了解して専業主婦になってしまえば政治には出ないし(政治家になったらそもそも「専業」主婦でなくなってしまう)、その価値観を否定すれば、専業主婦ではなくサラリーマンなどの仕事で社会(会社)参画してしまう。

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