2024.12.25 仕事術
第27回 どうする総合計画②
元所沢市議会議員 木田 弥
前回は、第6次所沢市総合計画前期基本計画を15か所修正したことをお伝えしました。今回は、修正に至る経緯及び特別委員会での議論の内容などについてご報告します。
発端は早稲田大学生インターンの一言
これから総合計画審議に入ろうとする定例会の際に、早稲田大学からの学生インターンを議会として受け入れていました。学生インターンは、私の所属していた会派に席を置いて活動していました。学生インターンに、第6次総合計画前期基本計画の議会提出議案を見てもらったところ、「非常に違和感がある内容です」と厳しく指摘されてしまいました。少し説明を加えると、所沢市議会では、2016年2月に「早稲田大学との連携協力に関するパートナーシップ協定」を締結しました。その協定に基づき、毎年9月定例会に早稲田大学の学生をインターンとして迎えています。インターンの学生には、受け入れる会派に席を置いて議会活動を経験してもらいます。受入れ会派はローテーションを組んでいて、2018年9月定例会では、私の会派が担当でした。
確かに原案は、当時の市長の独善的、情緒的ともいえる表現が満載でしたが、こちらもそうした表現にまひしていたこともあり、「いつものことだし、表現上のことなら本質には影響しない」と考えていました。しかし、学生インターンの指摘は、この総合計画を実質的に担ってもらう世代の指摘でもあります。そうした独善的、情緒的な表現にもきちんと向き合い、糺(ただ)すべきは糾すことを決意しました。もちろん修正は、市長の独善的、情緒的な表現以外の部分についても実施しました。
ひとまずは、当時の市長の独善的、情緒的な表現とそれに対する議会での議論を確認します。
原案では、まちづくりの目標として、「ホタル舞い、カブトムシのいる里山で、子どもたちは『絆』を感じながらたくましく泥んこになって遊ぶまち」という表現がありました。これが当時の市長の選挙公報の文言であれば、特に問題はありません。しかし、総合計画というのは、市長に投票していない市民や、投票権のない子どもたちにも影響するものです。当時の市長の価値観では、子どもたちは「たくましく泥んこになって遊ぶ」ものであると定義しているように見受けられました。気持ちは分からなくもありませんが、子どもにも様々な事情や特性があります。それを一律に規定するというのは違和感があります。この表現が、学生インターンが違和感を感じた部分でした。それでなくてもこの市長は、汗っかきがトレードマークで、市内の小中学校のクーラー導入計画を独断で中止し、怒った市民が住民投票まで行うに至った方です。
委員会の質疑では、「障害者差別禁止条例を所沢市は制定している。これは、泥んこになって遊べない子どもたちはこの所沢に住むなということなのでしょうか。こういった情緒的な表現、あるいは障害者を差別するような表現は撤回すべきではないですか? 泥んこになって遊べない子どもはどうすればいいのか」という質疑に対する執行部からの回答は、「障害者差別という意図は全くない」というものでした。
ちなみに、以下の答えは特別委員会における質疑ですので、全て執行部からの回答です。「どういう議論があって、誰がこのような表現を提案したのか」という質疑に対し、「審議会の中で、ふるさとの野山などで自然にふれあいながら過ごせる、そういった環境が所沢市の魅力でもあることから、このような表現を採用させていただいた。市長の言葉にかなり寄っているような表現ではないかという指摘もありますが、これまで市長が様々な発信をしていく中で、そういった言葉が色濃くこの将来都市像の説明文の中に反映されているというところは確かにあるとは思っています」と正直な答弁がありました。
私としては、これらの文言を全て削除したかったのですが、市長の思いが強く反映しているとはいえ、総合計画審議会の提案でもあり、市長の提案権を侵害することは避けたいという事情もあったため、少し表現を弱め、あくまでも例示の一つとして位置付けることとしました。そのため、「例えば、泥んこになって遊ぶまち」のように「例えば」を加筆し、あくまでも例示であることを強調しました。同様に、画一的な価値観の押しつけとの議論があった「子どもたちが『早く大人になりたいな』と思える、そんな大人がいるまち」という表現も「例えば」を加筆しました。