2022.12.01 リーガルマインド
【緊急特報】裁判記録は魂の記録である
日本大学危機管理学部 鈴木秀洋/協力 工藤奈美
第1 永久保存裁判記録(剣太事件)の廃棄事件の発覚
最高裁判所は、2022年11月25日、大分地裁が永久保存(特別保存)の対象に指定していた6件の民事裁判の裁判記録を2月に廃棄していたと発表し(1)、この廃棄記録の中の一つに平成22年(ワ)222号損害賠償請求事件(剣太事件)(2)が含まれていることが明らかになった。
1 裁判を受ける権利の担保としての国民共有の財産
裁判記録は憲法が保障する裁判を受ける権利(憲法32条)を実質的に担保するものである。裁判は証拠に基づいてなされるものである点で、その記録は、現在の国民だけでなく、未来の国民の疑問や課題に対して、証拠に基づいて応え得る点で後世に残す歴史的価値が高いものが少なくない。このことは、特に行政が当事者となる裁判記録の保存については顕著に当てはまる。公文書等の管理に関する法律(平成21年法律66号)(3)の直接の規律対象でないとしても、この法律趣旨が当てはまる国民の共有財産であるといえる。その意味で、今回の裁判記録の廃棄は、国民主権の根幹を揺るがしかねない事件なのである。
2 裁判当事者にとっての魂の記録
一方で、忘れてならないのは、この裁判記録が、個々の裁判当事者にとって、魂の記録そのものであるということである。
特別保存指定されながら裁判記録を廃棄(4)された国家賠償訴訟の原告(遺族)の工藤夫妻からお聞きした話の一部を本論稿でお伝えすることで、廃棄事件の深刻さを共有したい。
工藤夫妻の息子剣太さんは、高校の剣道部活動中に顧問教員からの暴行そして熱中症により命を落とした。生きる意欲を失った両親を支えたのは、真相解明をして息子に報告するとの誓いであり、そしてもう剣太と同じ道をたどる子どもを出したくないとの強い思いであった。
この裁判に至るまで、どれだけの思いをして証拠を集め、どれだけの苦しみを乗り越えて(5)裁判を続けてきたか。行政(教員)を相手にする訴訟であるがために、周囲からの誹謗(ひぼう)、中傷も多かった。命を削りながら、満身創痍(そうい)で歩んできた裁判が終わり、特別保存指定された裁判記録のみが残った。自治体への国家賠償制度上の勝訴判決と顧問教員への求償権(住民)訴訟判決までの道のりは剣太の生きざまを再現したものであり、命そのものといってもよいほどの大切なものなのである。その意味で工藤夫妻は、剣太事件で3度剣太が殺されたと話す。1度目は剣太が死んだとき、2度目が裁判で何度も剣太の死の場面で行政側の正当化や自己弁護による反論(6)を受けたとき、そして、3度目が今回の剣太事件裁判記録の廃棄であると述べる。
第2 最高裁判所事務総局及び有識者会議への期待
現在、「事件記録の保存・廃棄の在り方に関する有識者委員会」(梶木壽座長)が開かれ(7)、特別保存の運用のあり方等についての議論がなされている。今後運用のあり方の基準等も示されることになろう。しかし、特別保存指定されても廃棄されてしまうのであれば、特別保存指定の議論はそもそも意味をなさない。基準づくりや指定のあり方以前に、特別保存指定の裁判記録を廃棄したのであるから、その場合には、復元の職務命令を発し、直ちに履行に着手させなければならないであろう。
被害遺族にとって、裁判記録の保存は、子どもが生きた証を(自分たちが死んだ後も)公的に正しく後世に伝えてくれるバトンなのである(8)。
最高裁判所及び有識者委員会に、こうした原告遺族の思いは届くであろうか。こうした思いは、法的利益に値しないと一蹴してよいものではなかろう。
確かに、完全復元は無理かもしれない。その点で復元完成度の細かな論点の詰めや確認は必要となろうが、裁判所が特別保存指定した記録を廃棄したのであるから、復元を裁判所の義務とすべきことに世論的な異論も、専門的見地からのハードルもないはずである。
裁判記録は単なる紙切れではない。今回の剣太事件裁判記録については、工藤夫妻の人生がすべて詰まっている魂そのものなのである。