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2019.05.27 選挙

地方選挙を活性化させる小さな村のユニークな取組み─長野県木島平村の全候補者による合同個人演説会の開催─

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地方自治ジャーナリスト 相川俊英

惨たんたる結果に終わった統一地方選

 平成最後の統一地方選は、残念ながら、各地域の自治力の劣化を如実に示す結果に終わった。低投票率と無投票当選が相次ぎ、機能を果たせぬ選挙がさらに拡大した。とりわけ深刻な状況となったのが、地方議員選挙だ。41道府県議選の平均投票率は44.08%にとどまり、市議選45.57%、区議選42.63%、町村議選59.70%とすべてが過去最低を記録してしまった。その上、41道府県議選では定数の26.88%が無投票当選となり、全国375の町村で実施された議員選挙でも93の議会が無投票に終わっている。有権者に選ばれぬまま議員になった人が続出し、また、選ぶ権利を奪われてしまった有権者が増大したのである。地方議会は存亡の危機に直面しているといっても過言ではない。

小さな村の議会選挙の慣例に着目

 町村長選と町村議選が告示されてから2日後の4月18日、統一地方選の取材で長野県木島平村という小さな村に赴いた。12人が立候補した定数10の村議選の行方を追ってのことだ。といっても木島平村の議会や行政、地域課題、村議選の争点などに着目してのことではない。木島平村で珍しい取組みが続けられていることを耳にし、その現場をぜひとも見てみたいと思ったからだ。
 北陸新幹線に乗車し、JR飯山駅で下車。駅東口からタクシーに乗り込み、木島平村へと向かう。千曲川にかかる橋を渡ると、目の前に平らな扇状地が広がった。三方を山に囲まれた木島平村であった。
 木島平村の人口は4,658人(2015年国勢調査、以下同)。村域は約99平方キロメートルと広いものの、千曲川右岸に集落が集まるコンパクトな自治体である。1955年に穂高村、往郷村、上木島村の3村が合併して生まれ、以来、単独自治体を貫いている。

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木島平村役場

 内陸部にある木島平村は寒暖の差が激しく、豪雪地帯でもある。平らな地形に降水量の多さも加わって農作物の栽培に適した地域となっているが、ご多分に漏れず人口減と少子高齢化(高齢化率35.7%)に直面している。村が抱える課題は他の過疎地の小規模自治体と何ら変わらない。
 そんな木島平村で全国的に極めて珍しい取組みが行われていた。村議選の立候補者が毎回、告示後に全員そろって「合同個人演説会」を開いているのである。それも立候補者間の申合せによるもので、木島平村の「慣例」になっているという。各陣営が役割分担して「合同個人演説会」を運営し、住民団体や選挙管理委員会などはノータッチ。立候補者全員が、申合せにより、村議選のときに必ず開催するというのが、木島平村の「合同個人演説会」の特徴だ。では、どういう経緯でこの取組みが始まり、実際にどのように行われているのだろうか。本論に入る前に少し持論を述べさせていただきたい。

選挙の再生なくして議会の再生なし

 選挙で最も重要なのは、有権者にきちんとした判断材料が提示されることだと考えるが、日本の選挙(とりわけ地方議員選挙)はそうなっていないのが実情だ。公職選挙法が選挙運動に様々な規制をかけ、有権者にとって真に必要な情報提供をむしろ阻害してしまっている感が強い。例えば、公職選挙法は選挙期間中の戸別訪問を禁止しており、戦後、実施されていた候補者全員による立会演説会も1983年の法改正で廃止された。さらに選挙運動期間の短縮(町村議選は5日間)やビラ頒布の禁止(2019年3月から解禁されたものの町村議選は除外)、街頭演説での規制など、候補者の運動を縛るものばかりである。公営選挙としてポスター代や選挙カー費用、選挙公報や政見放送などに公金が支出されているが、それらが有権者に十分な判断材料を提供することにつながっているとは到底言い難い。多数に上る候補者を比較して選択するためのツールや場、機会とはなっていないからだ(供託金不要の町村議選はポスター代と選挙カー費用の公費負担対象外)。つまり、有権者に個々の候補者情報がきちんと提供されず、その上、相対評価する場や機会が用意されていないため、有権者は票を投じる先を選ぼうにも選べない状況に置かれているのである。地方選挙で投票率が低下し、無投票選挙が増加している要因の一つと考える。
 地方選挙の空洞化は有権者の関心の低さによってのみもたらされたのではなく、有権者が選挙から遠ざけられてしまっていることの結果でもあるのではないか。そう捉えているからこそ、有権者が選びやすい、投票しやすい環境をつくることが何よりも重要だと考える。そのためには選挙制度を大きく変える必要があると認識しているが、現時点でできることもある。その一つが、候補者が有権者の前に勢ぞろいし、生の姿と生の話を披歴する「合同個人演説会」の開催である。有権者は候補者を品定めすることができ、選ぶことの楽しさや喜び、重みを実感することにつながるからだ。

候補者間の申合せで始まった合同個人演説会

 「とにかく村民に向かって生で話すことに意味があります。私は(合同個人演説会で)『一回、俺に投票してみてくれ。それでだめだったら次の選挙で落としてくれ』とぶち上げたことがあります。そのときは『迫力があってよかったよ』といわれました。といっても、最初のときは大勢の人を前にして足が震えました。聞いている人の顔を見る余裕などなくて、話すのに精一杯でした」
 こう振り返るのは、木島平村の渡辺力・元村議会議長。1995年に初当選した渡辺さんは村議を4期務め、2011年に64歳で引退した地域の古老だ。
 渡辺さんは「合同個人演説会」への参加を重ねるうちに、聴衆の顔がはっきり見えるようになり、手ごたえも分かるようになったという。演説後、聴衆から「説得力があってよかった」と褒められたこともあり、議員としての自信とやる気を大いに刺激されたという。また、会場で他の候補者の演説も聞くことになるので、いろいろ得るものがあったと語る。中には「この人はたいしたことないな」とか「誰かに書いてもらった原稿を読んでいるだけだ」と思ったケースもあったという。
 昔は木島平村で議員になれるのは、大きな集落から出る人や親戚の多い人、たくさん仲人をした人などに限られていたという。「全国区」の候補者(特定の地域・組織ではなく村内全域から広く票を集める人)はほとんどおらず、地区の推薦が当落の決め手になっていたという。今は様相が変わり、地区推薦なしの議員も珍しくないというが、昔のままという自治体も多いのではないか。
 では、なぜ、木島平村で村議選告示後に「合同個人演説会」が開催されるようになったのか。事情を聞いてみると、きっかけは実に意外なことだった。
 話は昭和の時代まで遡る。村議選になると各陣営の選挙カーが村内を連呼して回る光景が繰り広げられていた。しかし、狭いエリアに集落が集まる木島平村である。住民には「うるさい」と、不評でしかなかった。また、小さな村なので名前や顔も知られており、集票の効果も考えにくかった。候補者の間から「選挙カーはやめたらどうか」という声が上がったという。それで各陣営が集まって協議を重ね、選挙カーの自粛を申し合わせたのである(ある国政政党の陣営はこの申合せには加わらず)。
 こうした申合せは他の自治体でも見られるが、木島平村は選挙カーの自粛だけにとどまらなかった。選挙カーなしの村議選が行われるようになってしばらくたってから、その代わりになるものとして「合同個人演説会」の開催が申合せに加えられたという。それまでは各候補が各集落を練り歩きながら演説していたが、ある陣営から「それぞれの主張を聞いてもらう機会をつくらないか?」との提案が出されたのである。こうして各陣営が顔をそろえる村議選の事前審査の場で、それぞれの個人演説会の日時と場所を一致させて事実上の立会演説会を開くやり方がひねり出されたのである。発案した人物にたどり着くことはできなかったが、「合同個人演説会」の開催を重ねるうちに「木島平方式」が確立されていったものと思われる。引退議員が会の呼びかけ人となるなどの「慣例」が加えられていったのである。

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10の議席を12人が取り合う木島平村の議員選挙

選挙カーよりも候補者を品定めできる合同個人演説会

 4月18日午後1時前、立候補者12人による合同個人演説会の会場である農村交流館に到着した。開会予定は午後1時半で、正面の舞台中央に演壇が置かれ、舞台下右側にスタンドマイクと机と椅子、左側にも椅子。舞台下中央には大きなゴザが敷かれ、その後方に椅子が何列も並べられていた。
 「会の運営は各陣営のスタッフで役割分担しています。事前の打合せに2時間かかりました」。こう語るのは、この日の合同個人演説会を総括する木島平村議会の森正仁・議長だ。67歳の森議長は3期で議員を引退し、後進に道を譲った。
 開会直前ながら森議長はスタッフ席に腰を下ろして取材に応じ、こんなことを語ってくれた。昔は各陣営が支持者に合同個人演説会への参加を要請していたが、最近はそういうことは少なくなった。前回(2015年)から地元のケーブルテレビ局(ふう太ネット木島平)が録画放送するようになったこともあり、聴衆の数は少なくなっている。今回は選挙権が18歳以上に引き下げられてから初めての村議選だが、おそらく投票率は下がるだろう。住民票を村に置いたまま村外に出ている若者が多いからだ。
 開会時間が近づくにつれ、人の数も増えていった。椅子席はほぼ埋まり、前方のゴザ席に座り込む人も現れた。平日の昼間とあって、参加者は高齢者中心だったが、約160人。村の有権者が4,000人ほどなので、関心の高さがうかがえる。聴衆の中には近隣自治体の議員もいた。1階の入り口に用意されていた選挙公報を手にした人も多かった。地元のケーブルテレビ局、ふう太ネット木島平のクルーも撮影の準備を完了させていた。

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開会直前の会場。緊張感が漂う


 木島平村議会は定数10(現員9人)に対して立候補者は12人。内訳は現職5人に新人が7人だ。年齢別では40代1人、50代2人、60代7人、そして70代が2人。最年少は41歳で、最高齢は71歳だった。性別は女性が1人で、男性が11人。議員のなり手不足で無投票に終わった小規模自治体が少なくない中、木島平村は今回を含めて過去7回の選挙で、無投票選挙は1回(2003年)のみ。議員定数を18人から16人、12人、10人と削減しているものの、なり手不足で四苦八苦とはなっていない。また、村議選の投票率も高く、前回(2015年)は78.58%、前々回(2011年)も79.66%と8割近い数値を記録している。また、木島平村議会の特徴の一つが、ベテラン議員が少ない点だ。5期目を目指す議員が最も当選回数が多く、議員の新旧交代が頻繁に行われている特異な議会といえる。
 定刻の午後1時半になり、司会役がスタンドマイクの前に立って開会を宣言した。別のスタッフが演説中のやじや歓声、拍手の禁止といった注意事項を説明した後、立候補者による1人10分ずつの個人演説となった。事前のくじ引きによって決められた順に立候補者が登壇した。全員がタスキをかけ、緊張を隠せずにいた。

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各候補の個人演説に耳を傾ける有権者

全候補者の話を聞くからこそ見えてくるもの

 12人の各候補者は村への思いや立候補した動機、力を入れたい施策などを熱く語った。持ち時間の10分を使い切る候補者もいれば、余す人もいた。用意した原稿を読み上げているような感じの人もいた。選挙公報で訴えた内容を話す候補者がほとんどだったが、文字と肉声では伝わってくるものが違う。話し方や表情、発する言葉の強さ、身振りなどから、各候補者の人となりや得意分野、その人の関心事や着想といったものが見えてくるからだ。中には村や村民全体よりも自らが住む地区に目が向いているように思われる候補者もいた。次々に演壇に立つ候補者の話に耳を傾けているうちに、どの人が議員に最もふさわしいか、自分の考えや好みに合うのが誰かといったことなどを、いつの間にかあれこれ考えている自分に気づくのだった。
 会場との質疑応答や候補者同士の討論などは一切なく、12人は自分の演説を終えると席に戻り、黙って他の候補者の話に耳を傾けていた。自分のいいたいことだけをいってさっと姿を消すような人はいなかった。また、途中で退席する聴衆もなく、トイレタイムもなかった。

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聞く姿勢もチェックされる候補者たち

 全員の演説が予定より若干早い午後3時45分に終了し、合同個人演説会は閉会となった。席を立とうとした聴衆に向かって司会役が重要な告知を付け加えた。地元ケーブルテレビ局による合同個人演説会の録画放映の知らせである。4年前は1回(夜間)のみの放映だったが、今回は4回の放映予定だという。最初の放映は今から3時間後の午後7時からで、2回目が午後9時半。3回目は翌19日の午後1時からで、最後の放映は投票前日の20日午後7時からだという。有権者が投票に当たっての判断材料を、公正中立の立場で提供する地元メディアの責務を果たすものといえる。こうしたケーブルテレビでの録画放映も「木島平方式」を支える新たな「慣例」となりつつある。
 ところが、事態は思わぬ方向へと転がってしまった。閉会後に行われた候補者全員による話合いの場で、録画放映への承諾を拒む人が現れ、急きょ、放映中止となったのである。事前の申合せで、全ての候補者の承諾がなければ放映しないとなっていたため、中止せざるをえなくなったのである。どうやら別の候補者が演説中に自分を批判するような発言をしたため、それへの反論に時間をとられてしまって、せっかくの機会を生かしきれなかったというのが、放映拒否の理由のようだった。放映中止の知らせは瞬く間に村内に広がり、あちらこちらから落胆の声が上がったのである。

選挙と住民の距離を縮める木島平村の合同個人演説会の効用

 地方議員のなり手不足の要因として、選挙にカネと労力がかかることが挙げられる。また、新人候補が知名度を上げにくいことも障壁といえる。外から移住してきた人なら、なおさらだ。しかし、合同個人演説会の開催ならば金はかからず、また、候補者はたとえ10分間の演説であっても自らの主張や存在を有権者にアピールできる。地元のケーブルテレビなどが放映すれば、その効果はさらに増す。候補者と有権者の距離が縮まり、これまでなら「地盤、看板、カバンがないので無理だ」と諦めていた人たちも選挙に打って出やすくなるのではないか。もちろん、定数が数十にも上る都市部ではなく、議員のなり手不足に直面する小規模自治体の話ではあるが。
 候補者間の申合せで始められた木島平村の「合同個人演説会」は、今や村の「慣例」にまでなり、ごく自然に開かれる恒例行事の一つのようになっている。選挙と住民の間に大きな断絶が生まれ、修復できぬまま広がる一方となっている地域こそ、木島平村の取組みを参考にすべきではないだろうか。
 (4月21日に投開票された木島平村議選の投票率は72.60%。前回より5.98ポイント下落した。)

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